名前 |
牧野弾正の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
牧野氏は内空閑氏の家老で南北朝時代末期頃に初代内空閑氏が伊賀国から下向してきた時には既に名前がある。
牧野弾正は戦国時代末期の人物で、龍造寺と島津の勢力争いでこの地が戦場になり戦死した記録が残る。
当時龍造寺に従う隈部氏の部下であった内空閑氏は島津の攻撃を受けていた。
島津方の案内役である木庭宗雲と牧野弾正が戦い、木庭宗雲は討ち取られた。
勢いづく内空閑・牧野勢であったが宗雲の息子 木庭帯刀に一騎打ちを挑まれ、結果牧野弾正は討ち取られてしまう。
その墓がこの牧野弾正の墓である。
この後、内空閑氏は降伏し隈部氏も降伏する。
なお木庭帯刀も弾正を討った直後に戦死している。
木庭宗雲の墓はここから南西部の民家の庭にある。
おそらくだが道路拡張により少し移動した?