那覇に行ったらぜひ立ち寄ってください。
公益財団法人対馬丸記念会 / / / .
ひめゆりの塔も沖縄観光のメインですが、ここの対馬丸記念館も是非訪れたいところです。
昭和19年8月21日学童集団疎開で1.800人近い乗客がアメリカの潜水艦から攻撃されて約8割の人が犠牲になった。
犠牲者の遺影、遺品が展示されていましたが涙が止まりません。
展示掲示は少なく小ぢんまりした博物館ですが、負の歴史遺産として語り継がないといけないものです。
戦争は非戦闘員であっても死の危険が常に近くにある。
何もできないのに死の危険だけある。
理不尽なことこの上ない。
ということがよく分かる場所です。
戦時中に起きる幾多の悲劇に大小は決して無いが、船は軍艦では無くれっきとした民間船であり、犠牲となった乗船者の多くが子供達となれば感情がより高ぶる。
1997年には探索調査で船影が捉えられているも引上げは不可能との政府回答。
当館は2004年開館と決して古く無い事が不思議で、撃沈から60年も経て開館した事は生存者や遺族にとっては、その間も苦しい時間を過ごしたかと思うと戦争被害が及ぼす影響の規模や時間の大きさや長さを再認識させられる。
昨日訪問させていただきました。
終戦後8年経ってうまれましたが、まだまだ戦後の影響が感じられた幼少期を思いだし、改めて平和のありがたさ、犠牲になられた方の思いを大切にして生きて行こうと心を新たに致しました。
いまある恵まれた環境のうえに胡座をかかずに遠い昔にも思いを馳せたいと思います。
ありがとうございました。
沖縄を訪れる方、時間があれば行って頂きたい。
言葉では表現出来ないな~
学童疎開時に米潜に撃沈された対馬丸の記念館。
こういう所は小中学校の授業でどんどん見せるべき。
那覇に行ったらぜひ立ち寄ってください。
犠牲になった子供の洋服の小ささに、胸が痛みます。
我々が観光などを楽しめるのも、こういった犠牲の上で成り立っていることを痛感しました。
ひっそりとした場所にありますが、一度はいってもらいたい場所です。
階段を上がった、左手に入り口が有り、中に受付が有り、入場料を払います。
展示数は、少ないですが当時の小学生の事を思うと、悲しみがこみ上げて来ました。
皆さんも、是非一度見学して、会館維持に協力して下さい。
職員の方が、親切で詳しく説明して下さいました。
時間をかけて、ゆっくり見学されることをお勧めします。
コンセプトは非常に良いのに、観光客(本土の人)への発信力がもったいない施設かな。
沖縄戦の歴史を知る上で重要!
昭和19(1944)年8月、沖縄県内各地から集められた学童らを乗せた疎開船「対馬丸」が本土を目指す途中、鹿児島県・悪石島付近で米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け一瞬のうちに沈められた事件。
乗船客約1800名のうち学童775名を含む1418名(氏名判別者数)が犠牲となり、今もなお船とともに海底に眠っている。
数少ない生存者の証言が印象的でした。
最後の場所に、海へ沈んでいった子ども達の心を代弁する形で書かれた詩が2点あります。
私たちの感性、大人の感性で代弁するように語る事について別の意味でとても考えさせられます。
この表現もひとつ有意義な事なのでしょう、しかし思慮深さという点でどうだろう浅はかは言い過ぎかも知れませんが、考えてみてほしいと。
対馬丸の事はおおよそ知っているだけだったので、辛うじて生き延びた人の証言を知ることができました。
沖縄はキレイな海だけではありません。
戦争についても考えさせられます。
是非、訪ねて下さい。
疎開中の子どもたちを乗せた対馬丸の記録と、当時の状況が詳しく展示されています。
何となくは知ってはいたけど 来て、見てびっくり‼こんなに悲しい出来事があるなんて❗二度と有っては行けないと…詳しくガイドしてもらえてすごく嬉しくありがとうございました。
戦争で、一番に犠牲になるのは、何の罪もない、弱者です。
想像してください。
ゲームでなく、大切な、自分の家族や友人、愛する人達が、目の前で、死んでいく姿を。
現実におきた事です。
戦争がなければ、どんな暮らしをされていたのか、想像してみて下さい。
ご冥福を心から、お祈りいたします。
名前 |
公益財団法人対馬丸記念会 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-941-3515 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水金土日] 9:00~17:00 [木] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
ひめゆり祈念資料館や、平和記念資料館が有名ですがこちらも戦争の悲惨さを痛感する資料館です。
沖縄から九州へ疎開に向かう途中、子供たちを乗せた船がアメリカ軍によって沈められました。
狭い船内に閉じ込められて沈んで行った気持ちを考えると、胸が締め付けられました。