本来は装飾古墳だったようだ。
キレイでのどか広場もありトイレもあるピクニックにいいかも。
きれいに整備されています。
西南戦争の激戦区でもあったようで、古墳の外側を塞いでいた岩に弾痕が残っています。
マツコデラックスで紹介~
形が、変わった古墳です。
オブサン古墳は今ではがらんどうとしているが、本来は装飾古墳だったようだ。
この直前にチブサン古墳の内部見学をさせてもらったのだが、いかんせん薄暗く、よく見えないところもあった。
オブサン古墳は常時開放されていて、玄室直前まで立ち入ることができるのだが、なるほど、明るくて奥まで見渡せるぞ。
不明瞭だったチブサン古墳のイメージを補完することができた。
おや?何かいる。
どうやら、空き家だと思っていたが、住人がいらっしゃるようだったのでお暇することとした。
(写真参照)
オブサン古墳は、山鹿市立博物館の北850mほどにある古墳時代後半(6世紀)に造られた古墳です。
直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳で、主体部は巨石で造られた横穴式石室があります。
特徴は、内部の後室の仕切り石に描かれた連続三角文などの装飾や石室の前面に突堤を持っていることです。
南東200mほどにあるチブサン古墳との関連も伺えます。
「安産の神様」として親しまれています。
西南戦争の際には薩摩軍が立てこもり、今でも官軍の弾痕が残っています。
直径22メートルで幅4メートル前後の周溝がめぐる。
石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けているが、墳丘内側だけでおさめるのでなく、円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、間口4.5メートルで羨門まで奥行8メートルの前庭部を確保している。
南に開く横穴式石室は複室構造で、奥室には石材は残っていないが石屋形があったことが判明した。
石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5メートル、前庭部の8メートルを加えると16.5メートルとなる。
奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭もしくは盾が認められたが、痕跡程度になり肉眼では判読できない。
本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高い。
鉄地金銅張りの馬具等が出土している。
オブサン古墳は6世紀中ごろのチブサン古墳に後続する首長墓で、6世紀後半に築造され7世紀前半まで追葬がなされている。
円丘から突出する張出し部をもつ特異な構造、前庭部列石を含めた全長16.5メートルの石室規模、貴重な壁画装飾をもつことから、チブサン古墳とともに、熊本県を代表する古墳のひとつといえる。
なお、江戸時代以来、チブサン古墳の壁画図像からくる「乳房信仰」とともに、オブサン(うぶさん=産さん)古墳は「お産」の神様として信仰の対象となり、両者は一体として意識されてきたものである。
名前 |
オブサン古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
近くに駐車場があります。
静かな場所で散歩にはちょうどいいですね。
誰もいませんでした。