Hier gibt es sehr viele A...
Hier gibt es sehr viele Azaleen zu sehen.
この大杣公園は、明治9年に良成親王の墓が600年に渡って五條氏と村人によって密かに守られていたのがわかり、大正6年に御側谷と矢部村が協力して造られました。
良成親王は、御村上天皇の皇子で後醍醐天皇の孫にあたります。
南北朝時代征西将軍として九州に派遣された後醍醐天皇の皇子懐良親王は、大保原の戦い等で勝利しますが、後幕府軍の今川了俊によって破れます。
その後、良成親王が職位を引継ぎ、1378年には菊池武朝と肥後詫摩が原の戦いで今川了俊を破り、一時光を放ちます。
しかし、懐良親王の死後今川軍におわれ、ここ大杣の地まで逃れ35才の若さで亡くなります。
命日である10月8日は「大杣公園祭」として、毎年お祭りが開催されています。
約600年前の南北朝時代、この地でなくなった後征西将軍良成親王(後村上天皇の皇子)の御陵墓がある公園です。
御陵墓の石段下の広場に立派な土俵と大きな藤棚がありました。
公園的には墓地公園風…歴代皇室の方のお墓(御陵墓)は公園とは区別された石垣の上の高台で頑丈な柵で守られていました。
調べもせず普通の公園をイメージして行ったので、ちょっとビックリ!八女市の山奥に歴代天皇の皇子のお墓が…歴史を読み解くと面白いですが趣味的にはそこまでは😅奉納相撲?と藤の花見の時期には地元の人がたくさん集まられそうな場所です。
※南北朝時代14世紀の半ば〜末まで50余年間の南北朝内乱の時代。
鎌倉時代と室町時代の中間で広義では室町時代に含まれる。
1336年に足利尊氏が北朝の光明天皇を擁立し、後醍醐天皇が吉野に移り南朝を開いた時期が始まり。
後村上天皇は後醍醐天皇の皇子。
私の四代前の生活の地に初めて訪れました。
名前 |
大杣公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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