二宮彦可は江戸時代後期に活躍した医師。
文禄3年(1595)に長遠院日樹上人が養珠院(徳川家康の側室のお萬の方)の庇護を受けて開創されたといいます。
当初は妙栄寺と称したが、元和7年(1621)池上本門寺末に転じた際、長遠寺と改めました。
有り難く御主題を頂きました。
お盆中にも関わらず御首題快く対応頂けました。
1597年に日樹上人が養珠院(徳川家康の側室のお萬の方)の庇護を受けて創建し、当初は妙栄寺と号していましたが、1621年に長遠寺と改称しました。
日樹上人が京都・要法寺から遷した「土富店(どぶだな)のお祖師さま」と呼ばれる、日蓮聖人が自ら開眼されたと伝わる開運日蓮大菩薩像を奉安していて、池上本門寺(大田区)・堀ノ内妙法寺(杉並区)と共に江戸三大祖師と呼ばれていました。
なお土富店(どぶだな:溝店)とは江戸時代の浅草新寺町(現在の元浅草二丁目)の俗称で、その門前は古くは私娼窟として知られていたそうです。
丁重に訪問したのですが、住職氏のご機嫌がとても悪い時に伺ってしまったようで、物凄く説教されました。
もう二度と行かないと思います。
ご機嫌が悪い理由はお勤め中などで多忙だったのかなと最初は思ったのですが、目元に物凄く目やにがたくさんついていましたので、お昼寝を妨げてしまったのだろうと思います。
住職氏は難聴のようで訪問した理由を何度も何度もドア越しで伝えたのですが、聞こえない聞こえないの一点張り。
そしてドアを開けたら途端に説教という状況でした。
悪い評判が全然無かっただけにとても残念な気分になりました。
日蓮宗寺院。
平成26年8月参拝です。
江戸十大祖師の一寺です。
境内緑が多く、綺麗です。
また、蚊も多いので、虫さされ対策必要です。
御首題、快く対応して下さりました。
名前 |
長遠寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3841-1972 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
二宮彦可は江戸時代後期に活躍した医師。
宝暦四年、三河国岡崎藩主の侍医で国学者でもある小笹峰の長男として、近江国浜松近郊で産まれる。
幼少時に乳母から梅毒が感染して、病弱のため廃摘となるが、明治四年同藩の口中科医である二宮元昌の養子となり家督を継いだ。
明治六年藩主の転封により石見国浜田に移る。
十九歳の頃から各地で医学を学び、口中科を山県良班、内科を恵美三白、眼科を三井玄儒、産科を賀川玄吾、内科を山脇東門に学んだ。
また赤松倉州、湯浅常山、亀井南冥を歴訪している。
天明八年には長崎に留学して吉雄耕牛にオランダ外科を学び、さらに吉原杏蔭斎のもとで整骨術の秘訣を伝えられた。