昭和20年に都立第一高女 を卒業した。
東京都立白鷗高等学校 (西校舎) / / / .
自分はここの卒業生ではない。
けれどこの近辺に住んではいるので、伺い知った評判だけ言う。
白鴎高校はそれはそれは以前は名門の都立高校だったらしい。
けれど今はまさに受験少年院と言う言葉にふさわしい、なんちゃっての進学校のようだ。
お子さんを自由な環境で育てつつ大学にも進学させたいと思っている親御さんは、間違ってもこの高校に入れてはならない。
制服が自由な山の手の都立高校に入れるか、校風の自由な私立大学附属高校に入れることをお勧めする。
反対に勉強すればできる子なんだけど、勉強を怠けがちなお子さんには向いているかもしれない。
ただ子供にとっては地獄ではあるだろうけど。
校舎が新しくなって、新校舎でも取り入れられたデザインは時計塔とアーチの入口。
講堂は無くなった。
二階席まであって固定椅子だったから、完全にホールだったんだが、、、バルコニーも無くなって、変わった校舎から普通の校舎になった。
立ち入り禁止も有ったが、自分は女性専用エリア以外は旧校舎を制覇してる。
そう言えば旧校舎の模型を作ってた。
業者に依頼した模型もあるが、友人達が作った物の方が細部の再現性が高い。
在校生は確認してみて。
正直、今どんな感じかの詳細は判らない。
中高一貫で昔と比べると入りやすくなった感がする。
偏差値下がってるみたいだし。
単独選抜は有る?現役生もみかけるが、普通というか平凡になった気がする。
前は自分みたいな変り者も居たし、教職員も特徴的な人が居たんだが、、おじさんのボヤキでした。
1888年開校。
1950年現校名となる。
2005年併設型中高一貫校を開校。
進学実績が非常によい。
二十八年度に関しては、東大5名、一橋1名、早稲田大学51。
部活動は一風変わった部活もあり、百人一首部と囲碁将棋部は全国大会に出場している。
千早ぶるを思い出します。
私の母が、昭和15年に府立第一高女(現・都立白鴎高校)に入学し、昭和20年に都立第一高女 を卒業した。
そういうこともあって、長子・長男の私も、この高校には、愛着を持っている。
なお、母の話によると、当時は府立第一高女の方が、桜蔭などの私立よりも難しく、母は府立第一高女を受けるにあたって、桜蔭をすべりどめにしたと言っていた。
☆1927年岡田信一郎設計の東京府立第一高等女学校校舎。
現都立白鴎高校。
現存せず。
1888年東京府高等女学校として創立。
1900年東京府立第一高等女学校と改称。
府立一女。
女子教育の先駆として知られる市川源三校長や、豊島師範、現・東京学芸大学の校長を10年にわたって務め、また京都府立女子専門学校の現・京都府立大学校長を務めた桜井賢三校長などの尽力もあって戦前から名門の高等女学校としてその名を全国に馳せた。
東京府全域から才媛が通学した。
「浅草の一女、小石川の二女(竹早)、麻布の三女(駒場)」として並び称されたナンバースクールであった。
2005年附属中学校を設置し都内初の公立の中高一貫校となった。
名前 |
東京都立白鷗高等学校 (西校舎) |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3843-5678 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
進学校だから生徒がみなさん大人しくて素直。