護佐丸の8代目の子孫が作った墓。
護佐丸のお墓🪦沖縄最古の亀甲墓🐢🪦として文化的な価値も高いそう✨中城城跡近くの台グスクと呼ばれる丘の麓にある⛰️1458年勝連按司「阿麻和利」を総大将とする王府に攻められた護佐丸一族党が、三男盛親を残し中城城で無念の死をとげる🧐謀反の疑いも晴れ1686年にその子孫毛氏豊見城家八代目盛定によって、王府から拝領した土地に建てられたものらしい🧐台グスクの遊歩道から行く道と、東側道路から階段を上がる道の二つの道がある☝️
護佐丸の8代目の子孫が作った墓。
沖縄で最も古い亀甲墓だそうです。
中城城跡に登っていく道を少し戻ったところの細い道(写真一枚目)の道を入ると案内が出ていますのであとは登っていくと辿り着けます。
台グスク展望台駐車が一番近いのでそこで車を停め道路側に出てから向かうか、中城城跡の駐車場に停めて少し歩くかになります。
沖縄で一番古い亀甲墓と言われた美しい石積みの墓所なり必見です。
護佐丸 殿のお墓。
入口付近に駐車場は無いので少し不便です。
道路から入って200〜300m進みますが。
階段は合計で100段前後有ったかも。
日曜日に行きましたが、他には誰もいませんでした。
春から秋の時期は虫除けしとくと安心です。
5月上旬で蚊がたっぷりだったので(T_T)
中城でバス待ちの間に寄りました。
片道15分見れば大丈夫。
護佐丸は築城の名人、尚氏6代の功臣ながらライバル阿麻和利の謀により反撃もせず中城で自害…という話もどうやら胡散臭く、まだまだひっくり返りそうな説ですね。
護佐丸殿、真実や如何に?と思いながら手を合わせました。
正直、わざわざ見に来るほどのものではなく、手入も十分ではなかったのですが、中城城まで来て時間に余裕があればどうぞ。
石造の祠のような沖縄特有の墓で、規模的にもそれほそ大きなものではありません。
道端の石碑から階段を登った所に立派な墓があります。
道端の入口付近は地元の方が花壇をされてます。
綺麗に整備され、手入れもされている。
立派なお墓の前には、どなたかがお供えされた花や飲み物。
大切にされているのだと感じる。
きれいに整備された階段があり足もとは安心です。
護佐丸の墓の前に、とても大きなフクギの木があります。
大きな幹で素晴らしい見ごたえです。
中城から峰続きの丘の中腹にある古の亀甲墓。
その静かな佇まいは、琉球屈指の名将の威厳に満ちた趣を今に伝えている。
中城城跡駐車場より歩いて10分位。
表示もないので、分かりにくいかもしれない。
墓所の入口は細い道路に面して気をつけて行けば、護佐丸墓所とある。
駐車場もなく車だと通り過ぎてしまう。
入口から50 メートルくらいは樹木の下の参道になってるが、その先は階段が続く。
登りきると山をくり抜いた亀甲墓がある。
沖縄の中では一番古い亀甲墓と言われているらしい。
墓の前は少し広い草地になっているが、沖縄の統一に大きな役割を果たした人物の墓としては、まだマイナーらしく寂しい気がした。
The stairway is only about 80 steps. The steps are split in 3-4 groups with short walkways. The last few steps are wooden. The area is quite and peaceful. Park in the Nagakagusku Castle parking lot. Go east cross the road then north for 200 feet. Then turn left on a street leading toward the pacific.This is a nice visit for seeing a turtleback style tomb.
中城近くなので是非…。
沖縄伝統の美しい亀甲墓中城城主の護佐丸のお墓です駐車場は無いので中城城の駐車場に停めて歩いていくと良いです。
入口前の道路は狭く救急車も通るので路駐は厳禁です。
綺麗に整備されている美しいお墓。
中城城跡の近くにあるが駐車場も無く参拝には注意が必要。
沖縄伝統の美しい亀甲墓中城城主の護佐丸のお墓です駐車場は無いので中城城の駐車場に停めて歩いていくと良いです。
入口前の道路は狭く救急車も通るので路駐は厳禁です。
Grave of Gosamaru. Quick walk up some stairs, with a view at the top.
南側の車道から北に向かって登る階段が伸びています。
車を停めるところは無いので、中城の駐車場に停めて、歩いて行くと良いと思います。
名前 |
護佐丸公之御墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

琉球王国時代を代表する武将。
恩納村の出身だが幼少期、青年期の記録は残っていないようでず。
1458年護佐丸、阿麻和利の乱にて、王府軍の旗を確認した護佐丸は抵抗することなく、自らの命を断ってしまったそうです。
護佐丸は、戦略、戦術に優れ尚巴志の右腕として琉球国統一に貢献し、築城の名人として、座喜味城、中城城を築城しました。
又、南蛮貿易に置いても大きな実績を上げ座喜味城下で大きな実績を残したと言われています。
護佐丸、阿麻和利の乱は現在でも歴史的解明が進められていて、王府の策略によって当時の勢力のあった二人の武将が滅ぼされたとの説もあります。