住宅街の中にひっそりとある神社です。
来る度に綺麗になってます。
駐車場が無いので近くの公民館の駐車場に停めて100m程歩きます。
おじゃまさせて頂きましたら静かで落ち着く場所でした地域の方々が昔から大事にしているのが良く分かる神社です⛩
神主さん不在で、御朱印頂けませんでした。
電気は付いていたので、たまたま席を外していたのでしょう。
また来ます。
インスタで見て伺いましたが神主さんが話しながら御朱印帳に季節の風物を描いてくださりとても癒される時間でした。
宮司さんおられんかったけど、御朱印が種類別に置かれとったので初穂料納めていただきました。
田舎の厳かな場所にあって、落ち着きました。
住宅街の中にひっそりとある神社です。
御朱印を書いて頂く間に、参拝させて頂きました。
また、色々とお話しを聞かせて頂きました。
また、来月も参拝に参ります。
玉依姫命を御祭する神社です。
拝殿に登り御朱印を頂くという形式でした。
今の宮司さんが、苦労をされて参拝客を増やして色々と形を整えたとの事です。
玉依姫命を描いた素敵な御朱印を拝受致しました。
地域によくある少し階段を登ったところにあるような神社。
ですが、色々な神様を奉られており、雰囲気がとても素敵でした。
御朱印は書置きのものが、3種類あり一枚500円程度お納めくださいと書かれていました。
日付は、本殿の中に入り、自分で書き込む形です。
駐車場は神社向かって少し左にあるお寺の駐車場が兼用の様です。
古い歴史ある神社 宮司さんの素晴らしい対応と、本式の参拝をさせて頂きました。
秋祭りの御朱印をいただきました*(^o^)/*
神社へ行く途中の道が狭くて、ドキドキでした。
とても素敵な御朱印を頂きました。
帰り際に、雨が降り出し傘を貸して頂き助かりまりました。
素晴らしい御朱印を頂きました。
書き置きでした。
名前 |
高祖神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0948-23-5289 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
高祖神社沿革御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)(平和の神)人皇第一代神武天皇の母君祭日 九月十九日当社は、第七十二代白河天皇の應徳元年(西暦一〇八四年)竃門山宝満宮(旧官幣小社竈門神社)の神領となったとき宝満宮を勧請し産土神としました。
ここは昔古から天祇地祇が御鎭座位ましました聖地で天安元年(八五四年)より八回に亘り社殿を再建しました。
寛治四年(一〇九〇年)に梵鐘奉納あるも天和元年(一六八一年)に紛失摺物の断片僅かに保存しています。
應長元年(一五九六年)鉄製鰐口方のあり今宝物として保存しています。
戦国諸豪族により天下乱れ幾度か戦火を交えるに至り永禄元年(一五五八年)社殿を焼失享保十三年(一七二九年)大正十四年(一九二五年)鳥居建立明治元年(一八六八年)宝満宮を高祖神社と改称しました。
末社四社浮殿三社があります。
当社は天災地変あるとき氏子が平和繁栄を望み祈祷したといわれています。
今も元旦詣り初宮詣り嫁入り詣りなど氏子和楽の社であります。
神社明細帳より境内掲示由緒ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー村社 高祖神社 嘉穂郡大分村大字高田字平瀬祭神 玉依姫命、神日本磐余彦尊、登由宇気大神由緒社殿に当村は、白河天皇の御宇應徳年間竃門山寳満宮(今筑紫郡太宰府町大字内山官幣小社竈門神社)の神領となりし依り同時寳満宮を勧請し本村の産土神とせりと言ふ。
寛治四年に梵鐘奉納ありたるも天和年中盗難に罹り銘文摺物の断片僅かに保存す其文南無寳満寬治四筑前の國穂波とありて他は分明ならず應長元年に鐵製鰐口の奉納あり今寳物として保存す其の銘に窮(此の字腐觸して讀み難し窮字領)滿宮奉勅(此所腐触摩滅して不明)高田村淺井孫右門應長元亥年八月吉日(以下摩滅して不明)慶長八年八月拝殿再建棟札に奉建立寳寳滿大菩薩拜殿一宇之事大日本西海道筑前國穂波郡高田村大且那云々于時慶長八年八月吉日願主(不明)善左エ門大宮司式部大夫云々と有り。
享保十年高田觸總社として觸中より法篋印塔を奉納す、其銘に奉納寳滿宮御神前高田觸中建立高田村大保正矢野四郎右エ門大分村保正矢野市三郎裏面に經に曰云々となり。
附記本社の觸總社となりしは享保十年なるや其の以前なるやは今確徴を得ざるも古來觸中の祈願所たり故に天災地変變あれば必ず觸中より災除の祈願をなせり。
天保四年拜殿再建棟札に奉建立寳滿宮拜殿一宇天下和順云々當村保正入江武四郎盛義祠官靑柳河内頭云々とあり。
明治元年寳滿宮を高祖神社と改称し奉る。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
明治三十四年十一月神殿改築す。
祭神神日本磐余彦尊登田宇氣大神は元同大字々城林に無格社として祭祀有し護穀神社(由緒古老碑に筑紫鎭守の御子海建磐辰命昔此地を始め給ひしとき此所字城林に神日本磐余彦尊の霊を勧請せりと、寛政九年■月登由宇氣大神を勧請して一社に二神を祀り護國神社と称す)を大正四年九月十七日許可を受け明細帳編入同時に當社を合祀す。
例祭日 九月十九日神饌幣帛料供進指定 明治四十二年三月六日主なる建造物 神殿、幣殿、拜殿境内坪数 五百八十二坪氏子区域及び戸数 約百戸境内神社若宮神社(大鷦鷯命)須佐神社(素盞嗚命)天滿神社(菅原大神)摂社稲荷神社(宇賀魂神)天神社(少彦名神)大賀神社(大名持神)末社春日神社(春日大神)福岡県神社誌。