王府軍を率いて護佐丸を攻め自害をさせる。
以前この近くに来たときには、案内表示も何も無かった。
こうして大切にされるようになって嬉しい。
いくら中山王に背いたとはいえ、勝連でその名を馳せた英雄の墓とは思えないくらいの細やかなもの。
反逆者として同じく滅ぼされた護佐丸の墓とは比較にならないほどで金丸の意図を感じる。
両親の地元読谷村に阿摩和利の墓があると知り訪ねにきたが車が停められなくて目的達成出来ず…。
三山時代の英雄の1人がこう言う扱いではいけないと思う。
整備すれば観光の1つになり得るかもしれないのに。
県や村はもう少し考えて欲しいですね。
第一尚氏王朝の時代、勝連按司だった際に中城按司だった護佐丸に王府への謀反ありと讒言し、王府軍を率いて護佐丸を攻め自害をさせる。
その勢いで首里を攻める手筈であったが、第6代尚泰久王の娘であり自身の妻であった百度踏揚が輿入れ時の従者であった越来賢雄に背負われて首里へとその情報をいち早く伝え、今度は逆族としてた越来賢雄を総大将とする王府軍に攻められて敗死したとされる。
道が狭いために手際良く参ってすぐに出発を心掛けないといけない。
地元、阿摩和利の墓なのにもっと盛大に祀ってて思います。
墓は他人の敷地内。
周りに駐車場もなく道も狭いので、停めるには勇気が必要。
名前 |
阿麻和利の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.tsunagaru-map.com/bunkazaisenseki/map.html?point=2631 |
評価 |
4.0 |
住宅地の中にあるお墓です。
虫がいっぱいいますし、歴史に興味がない人からしたらただの他人のお墓なので観光には絶対向かないです。