浅草のパワースポット「矢先稲荷神社」。
浅草と上野の中間あたりにある神社です。
もともとこの地には江戸時代には三十三間堂が建っており、その鎮守として創建されたそうです。
その後、お堂は移転してしまいますが、神社は残りました。
浅草名所七福神の福禄寿を祀る神社としても有名です。
下町のスローライフな雰囲気を味わえる良い神社だと思います。
境内は狭いですが、明るく開放感ある神社です拝殿に上がることもできるほど開放的で、拝殿の格天井には日本乗馬史を描いた100枚の絵が奉納されていて圧巻です。
1642年に将軍家光が京都の三十三間堂を真似た浅草三十三間堂を創建した。
その守護神を祀ったのが起源なのだそうだ。
三十三間堂は1698年の火災後に深川に移転したが廃仏毀釈で廃寺になっている。
残った方が、今に繁栄を伝えているのは運命めいたものを感じる。
拝殿の格天井を見逃したのが悔やまれる。
小規模な神社でした。
社務所にいる人は神職ではなくアルバイトでしょうね。
何の神様を祀ってるか知らないようでした。
そこの神社で働く神職が「祀ってる神様を知らない」というのはあり得ないし。
御朱印は2種類あり、七福神で福禄寿の御朱印もあるのだが、嚙み合わない会話をするのにストレスを感じてこれ以上はエネルギーを消費したくないと思い、矢先稲荷神社としての御朱印のみにしました。
浅草 七福神巡りGWの某日2日間かけて9カ所を巡ってきました。
5番目に訪れたのは矢先稲荷神社です。
鷲神社から徒歩15分程度でした。
住宅地の中にあり静かな雰囲気があります。
地下鉄銀座線の稲荷町駅から近いのでここから七福神巡りをするのも良いと思います。
作法通り参拝したあと300円納め七福神巡り用の色紙に記入していただきました。
※七福神巡りの順番は自由です。
9カ所どこから始めても問題ありません。
ただし受付が16:00で閉まるところもあるため時間内に回る必要があります。
2022年 4月23日 (土) 9:00浅草七福神の一つ 『福禄寿』でマンションや民家に囲まれた場所に位置してました風格の有る境内に清掃がとても行き届いて、歩いている方々も⛩️の前で足を止めて一礼する気持ちが清々しくなる神社でした😌御朱印も矢先稲荷神社と福禄寿、季節限定の桜もうで等々多彩でワクワクしました✨桜もうでの御朱印は500円の限定品なので是非今の時期しかないのでGETしてください!(無くなり次第終わりだそうです😵)写真アップしますので良かったら見てください🎵
浅草三十三間堂跡にある矢先稲荷神社。
矢場を持つ京都の三十三間堂にならい創建されたそうです。
その的場に隣接していたことにちなみ「矢先」の文字があるようです。
本殿の天井画も見せていただけてありがたいです。
御朱印も丁寧にいただけました。
浅草名所七福神の一つ。
ちなみに名前の由来は?三代将軍徳川家光が国家の安泰と庶民の安全祈願、ならびに武道の練成のため、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立。
ちなみに三十三間堂では、弓の射技練成のために「通し矢」が行われます。
そして、堂の守護神として稲荷大明神を勧請。
その場所がちょうど的の先にあたっていたので、「矢先稲荷」と名付けられたそうです。
訪れた日(3月23日)は、枝垂桜と鳥居脇の小さな小さな桜(ソメイヨシノでは無いと思います)が綺麗でした。
あ! いま恋をしている方、ここの御籤をひけば?
天井絵、凄いです。
じっくり見るには時間が足りません…
屋根が出っ張っていたのが特徴的。
『恋みくじ』が評判みたいで、若い女性参拝者が多かったです。
浅草、合羽橋商店街から少し入った場所にあります。
一方通行が多いため、辿り着くにはナビがあった方が良いかもしれません。
なにやら、三十三間堂なるものがかつてはあったようです。
今では、三十三件以上の建物が密に建っています。
三十三間堂の名残は一切ありません。
さて稲荷神社と聞くと、鳥居が連なる様子を思い浮かべますが、ここには一つしかありません。
都会の狭い境内では仕方ないのでしょう。
しかし歴史があるからあってもおかしくないはずなんですが。
きっと誰か調査してくれるでしょう。
クチコミ待ってます。
ここ矢先稲荷神社のメインは、拝殿に入る事ができること。
そして天井画を拝見出来ることです。
それはそれは見事なものです。
ここへ来たなら必ず見て貰いたいです。
また、浅草七福神の一社でもあります。
浅草へ行ったときには、立ち寄ってみてください。
幸先良く、御神籤で大吉が出ました〜!その後は来吉ばかりでした。
チョット分かりづらいところに鎮座してました。
本堂の天井には聖徳太子や信長、秀吉、家康の馬上の絵が描かれてました。
逆でごめんなさい。
御祭神は倉稲魂命・福禄寿を祀ってます、毎年6月矢先稲荷神社 例大祭があります。
銀座線・稲荷町・田原町 7分 ・浅草駅 15分日比谷線・入谷駅 10分都バス 菊屋橋下車 3分 御神体倉稲魂命(うかのみたまのみこと)福禄寿 寛永19年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立 三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。
通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行した この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけたいまからおよそ360年前のことになります。
昭和20年3月9日の空襲では神輿庫を残し焼失戦後早々に仮殿にて復興後、昭和35年11月9日にはRC造の現社殿が再建された。
拝殿の天井に、神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納され故・海老根駿堂氏が昭和35年から約5年がかりで製作、奉納したもの。
浅草のパワースポット「矢先稲荷神社」。
矢先稲荷神社も、七福神の中の福禄寿を祭っています。
矢先稲荷神社のご由緒は、寛永19年(1642)年に徳川家光が浅草に三十三間堂を建立しました。
その守護神として創建されたのが矢先稲荷神社です。
三十三間堂では、弓の技術を磨くための「通し矢」が行われていて、その的の先に神社を創建したため、「矢先稲荷」と名付けられました。
その後、一度は浅草の大火で焼失してしまいましたが、再建され現在に至ります。
矢先稲荷神社は、拝殿の中に上がれます。
拝殿に上がると奥に本殿があります。
本殿の天井画は「日本馬乗史」と言うもので100枚あるそうです。
戦国武将を始め、歴史に名を残した人物が馬に乗っている絵です。
その中のの10枚が、映画「ラストサムライ」の公式ガイドブックに使用されたとのことです。
矢先稲荷神社は、大きくはない神社ですが緑が多く境内には静かな空気が流れています。
拝殿は白を基調としていて、あまり他では見掛けない拝殿です。
雰囲気があって素敵な拝殿です。
そして、拝殿の中にある100枚の天井画は見る価値があります。
1642年徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。
1698年、浅草を中心として大火で焼失してしまい、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。
台東区松が谷に鎮座する矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)は、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時に創建されたとされています。
武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものが浅草の今の地に建てられ、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社であったため、「矢先」と呼ばれるようになったとのことです。
ご祭神は、倉稲魂命です。
浅草名所七福神の福禄寿も祀られています。
境内の神楽殿には、1698(元禄11)に焼失し、後に深川に移転した浅草三十三間堂の図が描かれています。
その他、この神社の見ものは何と言っても、拝殿天井絵馬図です。
拝殿の天井に、故・海老根駿堂氏が1960(昭和35)年から約5年がかりで製作、奉納した神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納されています。
昇殿し、見学、写真の撮影も可能です。
但し、カメラを祭壇の方に向けることは厳禁ですので、注意しましょう。
御朱印は社殿右手の社務所にていただけます。
神社の御朱印に加えて、浅草名所七福神の福禄寿の御朱印もいただけます。
初穂料は、各500円です。
神職常駐、御朱印を記帳して頂ける氏子神社。
常設授与所にて、初穂料:500円。
例大祭では【例祭】の青印が追加される。
例大祭は6月第三週の金土日で、偶数年が本祭。
下谷の三島神社や墨田川神社、墨田稲荷とほぼ同日。
秋葉神社から歩いて訪れました。
神社はコンパクトなものの白い社殿は立派です。
やたら🐴馬の御守りがあったので、馬に関係あるのか尋ねたら、拝殿の天井絵の事を知り、拝殿に上がって100枚あるという、圧巻の天井絵を見せていただきました。
御朱印戴きました。
御朱印代は500円です。
浅草名所七福神の1つです、こちらには福禄寿がいらっしゃいます。
こちらに行ったら是非拝殿の中に入り、天井を見上げてみてください。
格天井には、神武天皇の御世から現在までの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。
人物、馬の姿態、武具、服装などすべてが精密な考証のもとに描き上げられていて、誰でも一度は聞いたことのある武将名将が描かれており、歴史にあまり興味のない人でもきっと楽しめると思います。
こちらのお参りを済ませたら、合羽橋道具街を散策しながら駅に向かうと良いでしょう😉
2018年1月24日、浅草七福神巡り最後の神社となりました。
本殿の左側にある社務所にて色紙に福禄寿様の御朱印をいただきました。
浅草七福神巡りは、歩いて巡りました。
短い距離で5分くらい、長く歩いても20分前後でした。
また、良い神社やお寺巡り色々したいと思います。
2018年1月10日に参拝浅草名所七福神めぐりにて行ってきました。
こちらは、浅草名所七福神めぐりの福禄寿様がいます。
こちらから浅草名所七福神めぐりの9か所目最後に行きました。
お正月ということでお正月飾りなどもあり華やかな印象の神社でした。
私のほかにも浅草名所七福神めぐりに来ている方たちがたくさんいました。
御朱印もいただけました。
御朱印は2種類いただきました。
神社もの浅草名所七福神めぐり福禄寿様のものをいただきました。
浅草名所七福神めぐり、福禄寿。
浅草のパワースポット「矢先稲荷神社」。
矢先稲荷神社も、七福神の中の福禄寿を祭っています。
矢先稲荷神社のご由緒は、寛永19年(1642)年に徳川家光が浅草に三十三間堂を建立しました。
その守護神として創建されたのが矢先稲荷神社です。
三十三間堂では、弓の技術を磨くための「通し矢」が行われていて、その的の先に神社を創建したため、「矢先稲荷」と名付けられました。
その後、一度は浅草の大火で焼失してしまいましたが、再建され現在に至ります。
矢先稲荷神社は、拝殿の中に上がれます。
拝殿に上がると奥に本殿があります。
本殿の天井画は「日本馬乗史」と言うもので100枚あるそうです。
戦国武将を始め、歴史に名を残した人物が馬に乗っている絵です。
その中のの10枚が、映画「ラストサムライ」の公式ガイドブックに使用されたとのことです。
矢先稲荷神社は、大きくはない神社ですが緑が多く境内には静かな空気が流れています。
拝殿は白を基調としていて、あまり他では見掛けない拝殿です。
雰囲気があって素敵な拝殿です。
そして、拝殿の中にある100枚の天井画は見る価値があります。
寛永19年(1642)に徳川家光が建立し、三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源としている。
浅草名所七福神の福禄寿が祀られている。
浅草名所七福神の神社。
場所が分かりにくかった。
平成29年6月4日参拝浅草名所七福神:福禄寿御朱印あり(矢先稲荷神社、福禄寿)浅草三十三間堂跡がある。
合羽橋道具街から少し住宅地入った所にある神社でした。
御朱印は2種類ありました。
2016/3/6拝受 浅草名所七福神巡り。
天井に描かれた馬絵の数々が圧巻です。
著名な方々から馬にまつわる奉納品は見る価値がありました。
矢先稲荷神社の御朱印、浅草名所七福神福禄寿の御朱印 2種頂きました。
有難う御座いました!
名前 |
矢先稲荷神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3844-0652 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
京都の「三十三間堂」の通し矢は今でも続いていますが、江戸にも「三十三間堂」がここ浅草に建立され、江戸三十三間堂でも同じように通し矢が行われていたそうです。
こちらの江戸三十三間堂の落成では、将軍徳川家光の命により射初めが行われた程だったようです。
その後、江戸三十三間堂は火事で焼失したため、富岡八幡宮の東隣の深川に再建されています。
そのため、こちらは「浅草三十三間堂」、深川は同じように「深川三十三間堂」と呼ばれています。
こちらの矢先稲荷神社は、浅草三十三間堂の鎮守のために建立され、「浅草三十三間堂」で通し矢を射った先に建てられているため、「矢崎神社」と名付けられたそうです。
かっぱ橋商店街の脇道から少しの距離でお参りできる神社ですが、ここで通し矢が行われたいたと思うとワクワクします。