レンタカーなどで気軽に行けばパンクしたり車体を破損...
国指定名勝及び天然記念物 荒崎海岸 / / .
高さ約30mの断崖が切り立つ岬で、この岬を境に太平洋と東シナ海に分かれています。
平成24年に「喜屋武海岸及び荒崎海岸」として国指定名勝・天然記念物に指定されました。
また昭和40年には字喜屋武や字摩文仁などを含む糸満市南部地域や八重瀬町の一部が「沖縄戦跡国定公園」に指定され、国内唯一の戦跡としての性格を有する国定公園となりました。
敷地内には昭和44年に建立された慰霊碑「平和の塔」があります。
沖縄本島の最南端、荒崎海岸。
喜屋武岬も最南端ですが、ここが若干の最南端の感じがします。
勿論、🎣釣り&サーフィン🏄で有名な場所とあって、糸満市の観光スポットになっている。
また、市営バスも通っていて、なぜか🚏バス停🚏🚌まであるので、是非一度はドライブしながら、足を運ぶべし。
但し、岩々が険しいので、マリンシューズか運動靴を着用してリーフ(サンゴ礁の海岸沿い)を歩いてみてね。
ひめゆり学徒散華のプレートがある以外何もない海岸。
糸豊環境センターから行くよりも平和創造の森公園から行くほうが道が広いのでおすすめ。
最南端の最高地。
道のりは険しいですが、行ってみると大自然を感じることができて海好きには堪らない!
看板がなければ道に迷ったかと思えます。
かなり凸凹のある狭い砂利道なので、乗用車でも大きいものでは厳しいかと。
Googlemapの道は、海岸のところで微妙に異なっているので注意。
しかし険しい海岸で、追い詰められてここに来るのは、きつかっただろうなあ…
舗装されてない土の道をガタガタと進み、工事車両のダンプが行き交う中、迷わず進んで行くと看板がある。
少し分かりづらくて不安になるけど行けばあるさ!
沖縄戦において、ひめゆり学徒達が最後を遂げた場所です。
ひまわりの塔→荒崎海岸→平和の礎というルートで巡ってみると良いかと思います。
修学旅行の平和学習のルートとして行程に加えようとこちらを検索した方は、生徒さん方の体力を加味してあげてください。
足元が非常に悪い上に、岩肌がむき出しの海岸線は転ぶとズボンをはいた上からでも切れて血が出ます(出た)非常にたどり着きにくい海岸です。
google mapで出るルートは現在途中でルートが無くなり、採石場のような場所になっていました。
ご注意ください。
お供えの花はひめゆりの塔で買えます。
途中に野犬がいるので歩いていく方は注意。
何処までも青い空、透き通った海と、沖縄戦の悲劇の場所。
そのコントラストが印象に残っており、人生について考えさせられます。
ひめゆりの塔、資料館と合わせて訪問されることをお勧めします。
道が心許ないので十分に気をつけてください。
地図を見る限りでは複数の道がありそうで、実際に現地周辺にもあちこちに荒崎海岸の立て看板が出ているんですが、殆どの道は荒れ果てて廃道化しており、レンタカーなどで気軽に行けばパンクしたり車体を破損したりします。
経路に十分気をつけてください。
現在一般的な乗用車で至近までたどり着ける唯一の道は、北東にある「平和創造之森公園」の脇から海岸沿いに伸びるコースです。
未舗装路で路面が悪く、また採石場のダンプカーが頻繁に通る道となっていますので、通行には十分注意が要ります。
駐車スペースからはしばらく森の中を通り、それを抜けると海岸です。
森の中はドロドロ、海岸はサンゴが風化したような鋭利な岩がむき出しです。
サンダルなどでは歩かないようにしてください。
車に戻ってくると靴から落ちた泥で車内がたいへん汚れますから、その対策も要します。
観光や散策というにはちょっと難易度は高い場所かもしれません。
岩場を5分ちょっと辿ると「ひめゆり学徒散華の跡」の碑に着きます。
岩場に石碑が埋め込まれただけの簡素な場所ですが、今は平和なこの海岸にかつて悲惨な出来事があったことを知るのも大切かと思います。
時間に余裕をもって、いろいろ感じたり考えたりしていただきたいです。
白百合学徒隊の慰霊碑があります。
感慨深い場所です。
ダイバーがたくさんいました‼夕日が綺麗です!
ひめゆり学徒隊の解散命令後の最後に追い詰められた南端ここに来ずして沖縄戦の彼女らの心情はわからないビーサンなら平気で足を切る岩場サンゴの信じられない身を伏せる場所もない海岸。
名前 |
国指定名勝及び天然記念物 荒崎海岸 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-840-8163 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
糸満の環境美化センター裏手の未舗装の道を行くとたどり着けますが、案内板の色が薄くなって非常に解りにくいため平和創造の森公園近くの海沿いから行くことをお勧めします。
沖縄戦で多くの犠牲者を出した南部、此の場所でも昭和20年6月18日、突然の解散命令から行き場を失ったひめゆり学徒達が教師と共に訪れ米軍の捕虜になり生きて辱しめを受けるより集団自決を図ったのは6月21日との事。
多くの事を考えさせられる場所です。