魂魄之塔をはじめ、色んな塔があります。
魂魄の塔(こんぱく)と読みます。
戦後昭和21年1月、真和志村村長の金城和信(きんじょうわしん)が地域住民の協力によって道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの魂魄の塔とあります。
金城和信の碑文と胸像が魂魄の塔すぐ隣にあります。
こんな場所があるなんて。
那覇の飛行場より南側は戦争のイメージが強いです。
沖縄に来ても南側はなかなか行かないのですが、近年開発が進み新しくなってる場所でもあります。
そんな南に、サーフィン🏄u200d♀️が出来る場所があります。
サーフィンのイメージとは正反対に各都道府県、世界各国が立てた慰霊碑がそれぞれの区画に立っています。
楽しい南の国のイメージとは違いますが、歴史を知った上で沖縄を楽しむ事って大切だなと思った場所です。
魂魄の塔は戦後の沖縄で最初に建立された慰霊碑です。
合祀者3万5千人で、県内最大の慰霊塔です。
戦後、付近住民を中心に沖縄戦犠牲者の遺骨収容が始まり、収骨された遺骨がこの場所に集められ葬られました。
魂魄の塔の周囲には、北霊碑(北海道)、大和の塔(奈良)、大分の塔、紀乃國乃塔(和歌山)、ひろしまの塔、讃岐の塔(香川)、島根の塔などの慰霊碑が建立されています。
また近くに沖縄菩提樹苑、有川中将以下将兵自決の壕の碑があります。
多数の慰霊碑が密集しています。
徴兵されこの地で戦死された方々が眠っています。
戦死者数が尋常じゃない。
道産子の私ですが、北海道から沖縄へ一万人近く出兵していたとは知りませんでした。
ここを知っている方々が後世へ相続すべき遺産です。
すぐ南の浜辺を利用する方々の駐車場と化していますが、それをきっかけにでも、この場所を知る機会になればと思います。
捨て石とされた沖縄戦四人に一人が亡くなった沖縄の地どこで、どのように亡くなったか、名前も何もかもわからない、遺骨がねむっています。
歴史をもっと勉強していきたいです。
悲惨な戦争が生み出す実際を…
ひめゆりの塔のすぐ近くなのに、知られていないせいか、人気はほとんど無い。
全国各都道府県(全部では無いと思う)の慰霊の塔が立ち並ぶ。
東京はさらに坂を上がって、階段を上がらないとたどり着かない。
名前 |
魂魄の塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
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この場所も琉球あぎじゃびさんがYouTubeで紹介されてました。
沖縄での戦いが終わり、アメリカの支配下になったことでお骨を拾う事、弔う事が許されなかったそうですが県民の皆さんがアメリカにお願いし、お骨を拾い慰霊碑を建てた場所との事。
どんな思いだったのでしょうか?想像も出来ません。
魂魄の塔に埋葬されたお骨は全て移され丁重に弔われているとのこと。
そして、この辺りには多くの慰霊碑がありました。
日本国内の方々、韓国、中国の方々のものもありました。
沖縄は祈りの地。
魂魄の塔で平和を祈り、そして亡くなられた方々がもう一度生まれて、同じお父さん、お母さんに巡り会えますように。
そういえば、献花をしたかったのですがお花の販売がやってなかったので手を合わせただけになってしまいました。