八重山も現実を垣間見れる場所の一つ。
小学校の道沿いに、ポツンと立っています。
八重山も現実を垣間見れる場所の一つ。
是非とも訪れてほしいですね。
八重山の豪傑、とよぶにふさわしい力強い彫像だと思います。
1500年のオヤケアカハチの乱。
乱を抑えるのに尽力した宮古島の豪族仲宗根豊親見。
同年の仲宗根による与那国島侵攻と与那国島の首長サンアイイソバの抵抗による失敗。
1522年、鬼虎の乱による仲宗根の与那国島再侵攻。
1532年の宮古島における豊親見制度の廃止に至る、宮古諸島、八重山諸島への琉球王国による支配の過程の一端に触れることが出来ます。
(以上については人物の実在や史実かどうか、疑われている点もあります。
)波照間島のオヤケアカハチ生誕の地と、この碑。
後の薩摩による侵攻と支配、明治36年まで続いた人頭税、沖縄戦と、現在に至る八重山の苦難の歴史に思いを馳せることができます。
2022年1月12日散歩がてらフルスト原遺跡とセットで来ました。
躍動感あります。
近くには津波石や神様いっぱい。
歴史に触れられる場所。
賛否は別れるかもしれないが、いわゆる改革者だな。
津波大石を見たときに寄ってみました。
歴史のお勉強になります。
500年以上前に琉球国王に反旗を翻した八重山の英雄。
反乱理由は琉球国王による祭祀禁止の通達が信仰の弾圧にあたると考えたためとも年貢の取り立てが厳しく生活が困窮していた農民達のためとも言われています。
こちらの銅像はアカハチ没後500年に建立されたものです。
アカハチがここ大浜村を拠点にしていたことは間違いなさそうですが居宅が何処にあったかなど詳細は不明とのことで、同じ大浜にあるフルスト原遺跡との関連を考えてる方もいるそうです。
石垣島にとって重要な人物。
説明文が無いので分かりづらい。
八重山群島、民の怨嗟を一身に集め海に散って行った武士が、1500年頃に実在していた事を現代に語り繫いでいる島民の静かな熱意を応援します!
近くに津波石とオヤケアカハチの碑文もあります。
この辺から浜に降りると、まず誰もいません。
きれいな海の他、石垣空港離発着便が良く見えます。
オヤケアカハチ様には触れずにすみません。
名前 |
オヤケアカハチの碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
像が立っているだけの場所でした。
像はリアリティがあり、見応えがありました。