補陀落(ふだらく)山になっています。
今回、親族に場所を聞き、先祖のお墓参りをしに初めて海晏寺を訪れました。
事務所にいらしたお婆様が大変気さくな方でした。
とても歴史のあるお寺のようで、古い墓石も多く見受けられました。
一部の墓地は一般の方でも入れるようですが、他は鍵の掛かった門があり、関係者以外は立ち入り禁止となっているようです。
岩倉具視のお墓のある場所も同様です。
ちなみに、御朱印の受付などはやっておりません。
松平家、岩倉家の墓所は裏のフェンス越しに拝めるだけです。
機関銃の台座のようなものが見えます。
立派な境内は整っているけれど、お堂はがっちり閉鎖中。
お墓参りに特化しているのか、ぶらり参拝者には冷たいかぎり。
見た目立派なお寺。
入ったことはありません。
第一京浜の隣にある、曹洞宗のお寺。
本堂裏の墓地には岩倉具視や松平春嶽、由利公正といった幕末・明治維新期に活躍した人々の墓所があるそうですが、一般には公開してないそうです。
境内は静かで広く、都心にあるとは思えない感じがします。
都内と思えないような静寂な雰囲気があります。
立派な本堂?は見応えがありますよ。
「かいあんじ」と読みます。
第一京浜沿いにあるお寺で、とても広い境内と立派な本堂があります。
見ごたえありです。
歴史あるお寺です!
立派なお寺でしたが御朱印なく、対応が悪かった。
とても広い門構え昔お世話になった叔母さんのお墓にお線香をお寺の奥様がとても気さくな方で、叔母さんの懐かしいお話も出来ました。
有り難うございます。
合掌。
いいお寺です。
お墓から京浜急行が見えてます。
第1国道にも面しており、交通の便も最高ですね🎵
江戸33観音巡礼の番外札所です。
御朱印に達筆で参拝の日付を書いているのに他はハンコ、ちょっと寂しいを感じました。
海晏寺(かいあんじ)の山号は、サンスクリット語の音写から、補陀落(ふだらく)山になっています。
また、海晏寺の名称ですが、国立国会図書館のデジタルサイト「錦絵でたのしむ江戸の名所」の解説によれば「世の中が安らかで穏やか」という意味の「四海安平」(しかいあんぺい)から来ているとされています。
名は体を表すと言いますが、その体の意味や本質を知ると一段と深みを感じて来るものですね。
その海晏寺は、建長3年(1251年)に臨済宗として開基開山された古刹でしたが、衰退の途を辿り、慶長元年(1596年)に天叟慶存(てんそうけいそん)和尚によって、曹洞派の禅宗として再興されたと知られています。
江戸時代に斎藤月岑(げっしん)が著した『江戸名所図会』巻之二(天璇之部/てんせんのぶ)の海晏寺の項には、「曹洞派の禅宗にして、三田の功運寺(こううんじ)に属す。
北条相模守平時頼朝臣(たいらのときよりあそん)の開基として、大覚禅師を開山と称し、古山和尚を第二世とす。
天叟慶存和尚、慶長元年丙申、当寺を再興して中興となる。
本堂 本尊鮫頭観世音。
鐘楼 本堂の前、左の方にあり、元禄十五年、当寺の火災にかかり、旧鐘焼け損ず。
よって宝永七年改鋳して、往古(そのかみ)の銘をそのままに刻せり」と記されています。
ここでいう三田の功運寺ですが、創建当初は江戸城桜田門外にあって、いつの頃か不明ですが芝三田功運町に移転して、さらに大正11年(1922年)に東京都中野区上高田に移っています。
海晏寺の立地は、海岸線を間近にした平野部と台地部の接際にあって、その台地からの見晴らしは海を臨める絶景で、紅葉が色づく秋の頃には観楓の名所にもなっていたようです。
そんな昔を忍ばせる台地には、公卿の岩倉具視と福井藩主だった松平春嶽が葬られています。
でも、管理上で立ち入り禁止になっていますから墓前に立つことは出来ません。
ちなみに、南隣りの台地(大井公園)には土佐藩主だった山内容堂が葬られています。
幕末の歴史にご興味ある方、散策をお勧めいたします。
かいあんじ。
正式名称は補陀落山海晏寺。
鎌倉時代の創建と云われています。
曹洞宗の寺院で、御本尊は聖観音菩薩です。
岩倉具視の墓(東京都指定旧跡)がある事を帰宅してからネットで知りました。
青物横丁駅から徒歩で約5分です。
大きなお堂でした。
参拝客は私しかいなかったのがさみしかったのね^^;弾がオブジェ?
徳川家康ゆかりの寺。
岩倉具視墓所(非公開)
曹洞宗系単立東海三十三観音第30番霊場 平成27年1月27日参拝。
名前 |
海晏寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3471-0629 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ
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江戸三十三観音霊場と東海三十三観音霊場の参拝でそれぞれ別の日にお伺いしました。
曹洞宗系単立のお寺で補陀落山海晏寺といい江戸観音霊場番外札所、東海観音霊場の旧第三十番札所になりますが現在は東海三十三観音霊場の札所から外れています。
御本尊は聖観世音菩薩になります。
建長三年(1251年)鮫洲に浮上がった大鮫の死体から正観世音菩薩木像が出てきたことからその正観世音菩薩木像を安置するための堂宇として、鎌倉幕府第五代執権北条時頼公が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により臨済宗の寺院として海晏寺境内に庵瑞林として創建されたのが始まりで、この地域一帯の「鮫洲」という地名の由来にもなっています。
戦国時代戦火により荒廃しましたが徳川幕府初代将軍徳川家康公の命により文禄二年(1593年)天叟慶存を招いて臨済宗建長寺派から曹洞宗寺院として中興開山し海雲寺になりました。
境内の墓地には越前福井藩第十六代藩主松平春嶽公や明治維新の十傑の一人岩倉具視公の墓がありますが公開はされていません。