叔母さんの懐かしいお話も出来ました。
曹洞宗 補陀落山 海晏寺 / / / .
第一京浜の隣にある、曹洞宗のお寺。
本堂裏の墓地には岩倉具視や松平春嶽、由利公正といった幕末・明治維新期に活躍した人々の墓所があるそうですが、一般には公開してないそうです。
境内は静かで広く、都心にあるとは思えない感じがします。
とても広い門構え昔お世話になった叔母さんのお墓にお線香をお寺の奥様がとても気さくな方で、叔母さんの懐かしいお話も出来ました。
有り難うございます。
合掌。
海晏寺(かいあんじ)の山号は、サンスクリット語の音写から、補陀落(ふだらく)山になっています。
また、海晏寺の名称ですが、国立国会図書館のデジタルサイト「錦絵でたのしむ江戸の名所」の解説によれば「世の中が安らかで穏やか」という意味の「四海安平」(しかいあんぺい)から来ているとされています。
名は体を表すと言いますが、その体の意味や本質を知ると一段と深みを感じて来るものですね。
その海晏寺は、建長3年(1251年)に臨済宗として開基開山された古刹でしたが、衰退の途を辿り、慶長元年(1596年)に天叟慶存(てんそうけいそん)和尚によって、曹洞派の禅宗として再興されたと知られています。
江戸時代に斎藤月岑(げっしん)が著した『江戸名所図会』巻之二(天璇之部/てんせんのぶ)の海晏寺の項には、「曹洞派の禅宗にして、三田の功運寺(こううんじ)に属す。
北条相模守平時頼朝臣(たいらのときよりあそん)の開基として、大覚禅師を開山と称し、古山和尚を第二世とす。
天叟慶存和尚、慶長元年丙申、当寺を再興して中興となる。
本堂 本尊鮫頭観世音。
鐘楼 本堂の前、左の方にあり、元禄十五年、当寺の火災にかかり、旧鐘焼け損ず。
よって宝永七年改鋳して、往古(そのかみ)の銘をそのままに刻せり」と記されています。
ここでいう三田の功運寺ですが、創建当初は江戸城桜田門外にあって、いつの頃か不明ですが芝三田功運町に移転して、さらに大正11年(1922年)に東京都中野区上高田に移っています。
海晏寺の立地は、海岸線を間近にした平野部と台地部の接際にあって、その台地からの見晴らしは海を臨める絶景で、紅葉が色づく秋の頃には観楓の名所にもなっていたようです。
そんな昔を忍ばせる台地には、公卿の岩倉具視と福井藩主だった松平春嶽が葬られています。
でも、管理上で立ち入り禁止になっていますから墓前に立つことは出来ません。
ちなみに、南隣りの台地(大井公園)には土佐藩主だった山内容堂が葬られています。
幕末の歴史にご興味ある方、散策をお勧めいたします。
かいあんじ。
正式名称は補陀落山海晏寺。
鎌倉時代の創建と云われています。
曹洞宗の寺院で、御本尊は聖観音菩薩です。
岩倉具視の墓(東京都指定旧跡)がある事を帰宅してからネットで知りました。
青物横丁駅から徒歩で約5分です。
名前 |
曹洞宗 補陀落山 海晏寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3471-0629 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
今回、親族に場所を聞き、先祖のお墓参りをしに初めて海晏寺を訪れました。
事務所にいらしたお婆様が大変気さくな方でした。
とても歴史のあるお寺のようで、古い墓石も多く見受けられました。
一部の墓地は一般の方でも入れるようですが、他は鍵の掛かった門があり、関係者以外は立ち入り禁止となっているようです。
岩倉具視のお墓のある場所も同様です。
ちなみに、御朱印の受付などはやっておりません。