徳川家康四天王のひとり榊原康政生誕地。
お城の感じはないですが、横浜ナンバーの車がいましたね。
徳川家康四天王のひとり榊原康政生誕地。
あまりにも何もなく寂しい。
徳川四天王榊原康政が生まれたの誕生地、そして上野城址とされています。
榊原康政は徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、武勇伝は数え切れずといったところでしょうか。
榊原康政が生まれる数年前。
「井田野の戦い」の功により1494年松平信定が上野城の城主となり、1538年-清定、1543年-家次の居城となりました。
1545年「広畔畷の戦い」で、松平清定、家次、(酒井忠尚、忠尚の与力として榊原長政)の連合軍が松平広忠(家康の父)に敗れ、広忠は上野城まで攻め込み家次を降伏させ、1546年、酒井将監忠尚が許されて上野城の城主となりました。
そして1548年、ここで榊原長政の次男として榊原康政が生まれるのです。
1563年三河一向一揆で家康側として初陣を果たし、家康から武功を賞されて「康」の字を与えられたと伝えられます。
酒井忠尚は一揆側に味方し、1564年2月28日三河一向一揆が徳川家康に降伏した後も抵抗を続けており、半年以上たってやっと没落上野城から逃亡し駿河に逃れたといわれ、その後は行方不明。
ちなみに上野城ではなく正確には上野上村城なのでしょうか?上野下村城なるものがあるのでしょうか?そんな気持ちから南へ住宅地を歩いていたら庭仕事をしている50代くらいの主婦の方がいらっしゃったので尋ねてみたところおじいちゃんの話では県営住宅(立つ前だと思うが)の奥(南)の辺りに上野下村城の碑か何かがあったらしい云々の少しあやふやだが話が聞けました。
この三河上野上村城、現在は藪間公園、上郷区民会館、上郷護国神社に変わり、土塁状の盛山が残り、上に御社が祀られています。
名前 |
榊原康政生誕之地碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

上野城というお城跡にあります。