名前 |
龍神社社務所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
2021.04.30訪問社務所の辺りは、吉乃御殿の跡と言われています。
吉乃さんは生駒家4代家長の妹で、夫の土田弥平次を1556年に明智城の戦いで亡くし、実家に戻ってここの御殿で、喪に服しておりました。
そこに訪ねた織田信長とここで逢瀬を重ね、信長の室となり信忠、信雄、徳姫を授かりましたが、産後の肥立ちが悪く29才の若さで信長の願いむなしく亡くなったと言われています。
手前の力石は祭礼の時、生駒氏が家臣の者にこの石を担がせ、力試しをさせて五穀豊穣を願ったと伝えられています。
社務所の前に雨壺池があります。
「一面池であったこの地に、農民が水田を作った折、干ばつに備える雨壺として残された。
厳しい干ばつの年、雨壺の水を手桶ですくい曽本村の水神社運び、五条川の水を入れ替え持ち帰ると龍が暴れ狂って天に昇り、一転にわかに雨を降らせたと伝えられる。
近くの久昌寺の地に八大龍王が現れたという水神社の碑文と符号すれば、至徳年間(1384~1387)の時代以来の伝承であると言われています」由来板より抜粋。
現在の池に水はありませんでした。