戦争にまつわる色んな歴史が流れています。
原爆落下中心地には標柱として黒御影石の碑が立てられています。
園内には被爆当時の地層も残されています。
川に積み重なった死体の山。
一度は訪れるべき場所。
8月9日に、色んな団体が、集会を開いていた。
子どもと折り鶴を奉納させて頂きました。
大日本帝国の侵略的膨張による15年戦争の末期に米軍により投下されたプルトニウム型原子爆弾ファットマンの爆発中心地です何故原爆は落とされたのか?そもそも何故米国と戦争するに至ったのか?何故日中戦争は起こったのか?なぜ満州事変は起こったのか?折角ですので、自国の過去の行いを学習してみませんか?
平和公園、爆心地公園、原爆資料館はセットで回ってほしいですね。
被爆中心地は気持ちの良いぐらい何もない広場です。
被爆直後のまま瓦礫の山であったらば、などと想像しました。
比べるものではありませんが、長崎は広島に比べ遺構、遺品が少ない気がします、当時早く忘れたい気持ちのほうが強かったと聞いています。
忘れてはいけない、忘られるはずがないものほど忘れたいと思うのでしょうか?よそ者の勝手な言いがかりは置いといて。
被爆を利用するではなく、ただただ被害者の冥福を祈り合掌するにはいいところです。
たった一発の爆弾で都市を壊滅させる原爆の恐ろしさを忘れては行けません。
街は復興しましたが、隣を流れるその川は当時のまま今も流れ続けています。
子供はこの地に立って何を思ったのでしょうか。
合掌。
平和記念公園と比べて訪れる人も少なく、ひっそりとしていました。
色々な事を感じさせてもらいました。
修学旅行生が戻って来ました。
長崎に来たら平和公園と共に訪れるべき場所。
この公園の上空で原子爆弾が炸裂したようである。
グラウンドゼロはここです平和公園は慰霊の公園ですが、爆心地はここです浦上天主堂の遺構が何気に普通に現存しています。
原子爆弾による人類史上二例目の被害となったナガサキの爆心地点である。
B29(ボックスカー)によりプルトニウム型原子爆弾(ファットマン)が投下され、上空500mにて爆発した。
一瞬にして7万人余の命が奪われてしまった。
しかしながら広島と異なり山がちな地形が幸いとなり被害がある程度抑えられたようだ。
亡くなられた方々のご冥福と平和の祈りを捧げたいものである。
広々とした公園に原爆の遺構が点在しています。
代表的なのは天主堂遺壁と川岸に降りた所にある原爆当時の地層でしょうか。
原爆資料館の目の前なのでついでに寄るのがいいかも。
近現代史でも当然最重要と考えられる爆心地ですが、実際行ってみると拍子抜けするほど地味でこじんまりとしている。
そして観光客がいつ行っても少ない。
そもそも観光地っぽくない普通の公園にしか見えない。
夜行くと当たり前だが誰もいなく過ごしやすいので涼みに行っちゃったりして、色々物思いにふけっていました。
表通りから反対側の川に降りる階段の脇には当時の地層が展示されている。
物凄い迫力を感じる。
爪痕をあえて、ほんのちょっぴり残したんだな。
それを眺めて爆心記念碑に触れながら徹底的に当時の状況を想像してみる。
頭の中には資料館で見た写真、映像、資料があるけど、なんか想像を超えている気がする。
もっともっと酷かったんだろうな。
出来るだけ感じようとしていると、めまいがしてくる。
なんかキツい。
あたりを見渡すとあまりのギャップに実感が薄くなる。
う~ん、これが平和なのか。
平和って良いことなのかな~。
痛みから逃げている気がする。
いつもよりそういったテーマを考えるのに、ここには爆心地という紛れもないキツイ事実もあって、脳みそがいつもより揺れる。
ここまでの場所って日本では中々ないよね。
だから資料館や如己堂など色々行った後、ここに来て感じてほしい。
記念碑に触れ目を閉じて感じまくってほしい。
正直、合理的なスケジュールとかコスパとか糞な理由で平和公園や資料館は行くけど、ここには来ない事実に強烈に憤りを感じている。
見るとか聞くとか提供される情報よりも自ら理解しようって気持ちのほうがずっと大事。
自分にとってはここは人が来ないことも含めて特別な場所なんだけど、やっぱりギュウギュウに混み合ってもいいから、日本人に沢山訪れてほしいと切に願う。
人類が忘れてはいけない地ですね。
やっと来れました。
わりと日本人より観光目的の外国の方も多いです。
意外でした。
韓国人と思われる家族を見かけましたが、お母さんが熱心に説明していました。
ここで起きたことを子供達に必死になってジェスチャーを交えながら教えていたのがとても印象的でした。
我が家もここで起きたことを子供たちに話し、伝えることができたと思います。
世界中の人々に訪れてほしい、と心から思いました。
ご冥福を祈ります。
初めて訪れた原爆が投下された中心地。
ここで感じるモノが全てですね。
とても心穏やかになれる場所です。
春は桜がとても綺麗です。
忘れてはいけない場所だからこそ、静かに穏やかに空気を感じたい公園です。
昭和20年(1945)年8月9日11時2分。
アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。
現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられており、園内には被爆当時の地層も残されていますが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。
原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽されたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が芽吹きました。
この爆心地周辺も今ではすっかり緑に囲まれ、かつての惨状を思い浮かべるとその逞しい復興の力を感じることができます。
公園の周囲には桜の木が植えられ、桜の季節をはじめ、日頃から緑に囲まれた憩いの空間として親しまれています。
この地で起きた惨劇を目をそむけずに見てほしい。
そして、日本人なら一度は訪れて欲しいと思います。
原爆の爆心地です。
忘れてはいけない気持ちを抱きます。
実際原爆が落ちた場所であり、原爆が投下された内容などが説明板で確認出来る。
長崎では平和を願う重要な場所です。
ここから悲劇が始まった❗
近くに小川があるのですが、戦争にまつわる色んな歴史が流れています。
名前 |
爆心地公園 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_inori/genbaku_rakka_hi.html |
評価 |
4.4 |
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原爆投下にまつわるいろいろなモニュメントがあります。