ラジウム放射線被爆により白血病を患う。
展示スペースには長崎の鐘が流れていて、厳かな雰囲気の中見学する事ができます。
日中は修学旅行生が多いので朝イチで訪問することをおすすめします。
城山小学校の資料館の館長さんにすすめられ見学しました。
たまたま伺った日が、永井隆さんの命日でした。
私も、医療従事者ですが、永井隆さんのようには生きられない。
キリスト教のおかげなのでしょうか、素晴らしすぎる方です。
見学して良かったです。
浦上の聖者と言われた永井隆の人生を紹介する長崎市の資料館。
永井をどう評価するかは今も難しい問題だ。
1、戦時中は中国で軍医として活躍。
侵略戦争の手先の1人だった。
それを永井自身がどう総括していたのかがよくわからない。
2、原爆による多大な犠牲を、それによって戦争が終わり平和をもたらした神の摂理と説明した。
一部のカトリック信者には納得された。
しかし、どうしても理解できず苦しんだ信者もいた。
この考え方を擁護するか否定するかで、今も評価が分かれている。
原爆投下で自分は大怪我しているのに関わらず、沢山の怪我をした人々の治療に従事した神様の様な素晴らしい人だと思います。
長崎に来たら是非訪れて見てください。
永井隆は放射線物理療法の研究に取り組み、戦時中は軍医として従軍、長崎医科大学助教授となり物理的療法科で研究を続けていたが、ラジウム放射線被爆により白血病を患う。
2ヶ月後、原子爆弾で更に被爆することに。
その原爆症を自らの身体を実験台に研究を続けることを生涯にした。
カトリック教徒。
住宅地に位置する小さな如己堂には、白いマリア様が。
記念館のBGMは「長崎の鐘」です。
永井先生も二人のお子様も既にこの世にはいらっしゃらないけれど、軌跡をしっかり心に留め置きたいと思える貴重な場所。
行って、本当に良かった! 改めて永井博士という人の、その人物像と人格者ぶり、深い感動を覚えずには居られませんでした。
ノーベル文学賞受賞者であり、反戦の旗手でもあった川端氏の、博士を見舞ったその様子も写真にはありました。
もう一回は、絶対に行きたいなあ!!
実在した方です。
下調べ、しっかりして行かれる事をお勧めします。
日本軍が敗戦を認めたのも被爆の犠牲があったから。
原爆は何をもたらすか、核兵器廃絶に批准しない日本は、今尚続く叫びを知るべき。
初めて行けて良かった❢❢
永井先生の『愛』を感じることができる素敵な記念館です。
長崎に来たらぜひここに訪れてください❢
所属している学会主催の学術大会に参加するために、長崎を訪れるまで名前も知らずに、記念館を見学しました。
永井隆先生の生い立ちから医学への道に入るまでの年譜など資料を見て多くを学びました。
闘病しながら医療に携わり、多くの業績を挙げられたということがわかりとても感動しました。
長崎と原爆投下とも関わり、多くの患者様に治療をして、若くして病気に倒れた先生の一生に関わる資料を見ることができて大変勉強になりました。
駅からのアクセスもあまりよくありませんが、ぜひ長崎を訪れたら、ぜひ訪問してください。
心を打つと思います。
尊敬する永井隆博士の元住居だった所に建っています。
如己堂は今は小さな部屋で生活感はありませんが記念館の中にある写真を見ると当時の生活風景が見ることができます。
如己堂の裏にはちゃんと昔のままトイレがあります。
一般市民だった博士が洗礼を受け、クリスチャンとして原爆被害に遭った方々をどう救って行ったのか本を読めば分かります。
是非皆さま訪れて下さい。
そして本も読んで下さい。
長崎の鐘、この子を残してを書いた医学者。
たった2畳しかない家で家族3人(子供2人含めて)ですごしてきた。
なお、2回も被爆されたと言われている。
(医学で被爆し、長崎原爆で被爆した)闘病しながら小説などを描いてきた。
平和の大切さが学べます。
子供の学習にもおすすめ。
永井博士の事を知らずに行ったのですが、説明の動画が分かりやすかった。
平和の大切さを改めて考えさせられる展示内容です。
入場料も大人100円、子供50円なので是非行くことを勧めます。
四回目です。
ついに家族で来ました。
もとの浦上の教会は、ないけれど、永井先生の足跡は、消すことは、出来ない。
永井博士の事、一度はしっかり勉強しよう。
今は資料館になってますが、昔は永井博士が寄付して作った、(うちらの本箱)がありました。
中では映像で永井博士の生涯が見れます。
15分位です。
入場料は大人¥100、小、中、高校生は無料。
駐車場はありません。
30分で一通りの展示を見ることができます。
丘の上にありますが、展示の内容が濃いので歩いてでも行く価値ありです。
永井隆博士が住んでいた如己堂が併設された記念館です。
記念館の施設自体は平屋ですが、かなりな衝撃的な内容です。
松江市生まれの永井博士は長崎医大(現長崎大)で放射線医学の研究を戦前に行っており、すでにその時点でかなりの被爆をされており白血病に罹患し、更に1945年8月、38歳のときに被爆。
奥さんは焼死する中、被爆者の治療に奔走されたそうです。
その後、記念館に併設された(如己堂の横に記念館が出来たというのが正しいでしょう)如己堂(約2畳スペース)で最後の時まで過ごされたようです。
亡くなるまでにヘレン・ケラーの訪問を受けたり昭和天皇にも謁見されています。
1951年に43歳で亡くなられたようです。
展示には永井博士の遺品や著書、ビデオ上映などがされています。
如己堂は無料で見学できます。
浦上天主堂からも徒歩ですぐです。
名前 |
長崎市永井隆記念館 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
095-844-3496 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.6 |
周辺のオススメ

流行歌「長崎の鐘」は、永井隆の随筆が元になっていると聞いた事が有ります。
歌のゆかりの地を尋ねまして、当博物館へとやって来ました。