国史跡に指定されている、甲賀市の山城です。
竹藪を整備していただき階段もあり「土塁」の上を一周出来ます。
地元のみなさんに感謝です。
甲賀郡中惣の史跡のひとつです。
他と違い道路沿いに案内板はなく、入り口が分かりにくかったです。
南側のお宅の西側で、舗装が終わる辺りから入れます。
方形の単郭で、四方を2
厚い土塁が方形にしっかり残っています。
多分、典型的な甲賀エリアの中惣遺跡だと思います。
竹やぶも中心部は伐採されていて、地元の方が作った虎の置物が点在しています。
この中心部に建物があって、普段は住んでいて、いざというときに自衛したのか。
火攻めされると逃げ場がなくて死んじゃいそうなので、実際はどうだったんだろうと、ちょっと気になりました。
甲賀郡中惣遺跡郡として、国史跡に指定されている、甲賀市の山城です。
この度、地域の自治体の協力により、山城内及び土塁部分の竹の伐採をしてもらったので、お城の愛好家さん、是非見に来てください❗️土塁の上+曲輪の中歩けますよ😃‼️
名前 |
竹中城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
滋賀県の甲賀の中世城郭になります。
甲賀地区には、200もの城跡があり、密度は近江1です。
このほとんでは石垣や天守をもたない土造りの城になります。
甲賀の城の特徴は、高い土塁と空堀を備えた半丁約50メートル四方の単郭方形を基本としている。
これらの城は、集落内部の平地や背後の丘陵上に立地、山城みたいな山頂にはつくらないとされてます。
杣川左岸の河岸段丘上に立地しています。
築城は16世紀後半頃と推定されてます。
土塁の外側には幅5メートル、深さ1.4から1.8メートルの空堀があります。
土塁の外側から測ると、東西62メートル、南北🫱58メートルあります。
甲賀地区は反町四方の単郭方形ばかりですが何故なんでしょうか。
当時の足利幕府の建物は、方形の方をしており、また甲賀衆は奉行衆をやっていた関係もあって、武士としての尊厳を保つために同じ方形にしたそうで、16世紀後半は、織田信長が攻め入る時期であっため、土塁を築き、空堀をつくった。
当時の守護職家ら築地塀(ついじべい)で居館を囲んでいましたが、戦国時代にはいり、これでは突破されるようななり、土塁を築いたと考えられています。
例えば、本能寺の変のときの絵図には、本能寺の直ぐ横は築地塀でくぎってあって、本能寺はその外にたっていました。
山城にした方が対戦には優位だと思われますが、甲賀地区は甲賀中惣で決められた地域を守るためにその地区内や裏山ぐらいに城をかまえているのも特徴です。
また住民を城の中に匿ったりしたと言われてます。
実際築地塀を埋め上に土塁を築いた場所もあるといいます。
アクセスはJR草津線甲南駅🚉下車し、徒歩30分です。