朝も夕方も水面がキラキラして綺麗です。
金色の砂のある美しく静かなビーチ。
しかし、クラゲや致命的な有毒イカがたくさんいるようです。
彼らが有毒であることを知っていましたか?私も😅
いきなり鄭成功が出て来てビックリ。
でもなるほどこんな繋がりがあったんだと興味津々。
やっぱり自分の足で回るといろんな発見があります。
朝も夕方も水面がキラキラして綺麗です。
砂浜は綺麗とは言いがたいですが、この雰囲気が私は好きです☆
ここは、平戸市にあります。
この地は、海岸の砂地を埋め立てて作ってあります。
この場所から川内方面に約300メートル行った、道路左側の海の中に台湾の英雄「鄭成功」が産まれた場所とされる岩があります。
トイレ休憩で立ち寄りました。
この地で生まれた鄭成功を記念する公園と書いてあります。
美しい浜に記念碑等が建っています。
トイレ休憩にいつも利用させていただいております。
自販機もあり、日差しも防ぐ事が出来ます。
20.8.2 今シーズン海水浴場は開設中止になってましたが、沢山の地元の方々が海水浴に来られてました。
駐車場満車。
何かほっとしました。
釣りをしている人もいましたよ👍
理由はよくわかりませんが、浜辺に鄭成功像がたつてます。
かなり勇ましいです。
この人が誰か説明を書くべきでは?記念公園って言うけど、蘭風のプライベートビーチみたいな海水浴場昔からあったよね。
海は星5つ、偉人が誰かわからないので、マイナス2
石碑と石像が有ります。
まず石碑の説明立札。
鄭成功千里ヶ浜記念公園平戸松浦家三十六代曜の時代に、中国,台湾の英雄 鄭成功顕彰の機運が高まり、嘉永五年(一八五二年)に平戸の藩学を司った葉山鎧軒撰文により建てられた記念碑です。
と説明されています。
石碑の表面は全く読めません。
この碑の隣に鄭成功の石像が有ります。
こちらの台座には次のような説明が記されています。
寄贈中国福建省南安市政府中国福建省南安市は、平戸で生まれた東アジアの英雄.鄭成功(ていせいこう)が少年期を過ごしたところであり、本市とは、1995年に友好都市を締結し、現在も交流を継続しております。
この像は、2013年の鄭成功記念館の開館に伴い、交流の証として南安市より寄贈されたものです。
今後、鄭成功を市民の宝として顕彰し後世に伝えて行くため。
ここに設置します。
2014年9月吉日 建立と書いてありました。
ちなみに、中国南安市はむかし安平と呼ばれ鄭成功が中国に渡ってから生活していた所。
母の田川マツもここに渡り悲運の最後を遂げる。
鄭成功が台湾に渡りオランダ勢力と戦った所は現在の台南市内の大員と呼ばれた所で、後に安平と改められ現在に至る。
直ぐ近くにホテル蘭風館があり日帰り入浴とディナーバイキングがセットで2900円で楽しめる。
展望露天風呂からは、海も望め気持いいので、車中泊のたびには、適した公園。
比較的きれいなトイレもあります。
鄭成功って誰人形浄瑠璃の国性爺合戦の主人公と聞いた。
国性爺合戦なら高校の時に日本史で習ったので、なんとなく人物のあらすじは、わかる程度。
平戸の生まれとは知らなかった。
でも、正直、馴染みはほとんどなく、もう少し、分かりやすい説明があっても良さそうな。
大きな鄭成功の像もあるのだから。
それとも、説明が不要なくらい、地元では、有名なんだろうか?海岸自体は、凄く綺麗であった。
海水浴場との事で、その時期になったら、また訪れたい。
この地で生まれた鄭成功を記念する公園です。
美しい浜に記念碑等が建っていますので、休憩を兼ねてぜひ立ち寄ってみてください。
名前 |
鄭成功記念公園 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
公園は美しい海岸に面して広く、トイレや休憩施設が整備されている。
鄭成功は、中国人の海商である父と日本人の母との間に1624年、平戸に生まれた。
「国性爺」の名で知られているアジアの英雄である。
鄭成功の母マツが、平戸の千里ヶ浜に安産祈願のためのお守りの貝を拾いに行った際、にわかに産気づき、岩にもたれて鄭成功を生んだとされている。
公園の近くには鄭成功記念館がある。
鄭成功が7歳まで暮らした生家を再現して記念館として創立された。
鄭成功 (幼名・福松) は 7歳の時、父親とともに明の国へ渡る。
後に、福建省に擁立された唐王朱聿鍵 (隆武帝) に抜擢された。
1645年、21歳のとき、隆武帝より明王朝の姓 (国姓) である 朱姓 を賜わり、成功という名も与えられた。
これによって「国姓爺」と言われるようになった (爺は「旦那」という意味である)。
朱姓を与えられたものの、自ら「朱成功」と称することはなかったという。
1661年、台湾を攻略して基地にすることを決意し、オランダ人が拠っていたゼーランディア城を陥落させ、台湾の統治にあたった。
1662年に台湾で病死した。
鄭成功の話は、近松門左衛門の「国姓爺合戦」でよく知られている。