地元の方々が大切に祀られている神社。
華やかな神社ではなく、こじんまりとした神社ですが、神秘的でした。
猿田彦神社に付くと昔ながらの石垣と石段に水色をした鉄製の手すりがとりつけてある。
手すり一つを見ても昭和風情で物を大事にしている感じを受ける。
賽銭箱の隣には、おみくじが置いてあり30円で買える。
30円は台の引き出しに入れるので、セルフ方式でのお釣りもきちんと受け取れる境内の綺麗さで、普段は無人でも地域の人に大事にされている神社だと感じる。
境内のお知らせボードには今年の庚申の日が明記されていた。
近くを通った時に参拝して、庚申の日を確認して庚申に行くのをオススメします。
大雑把なルート、唐津の明林堂書店→唐津神田局(小さな郵便局)の小路へ→丘ひとつ越えると猿田彦神社。
ふと立ち寄りました。
古い御宮は藤の花が満開でした。
唐津市見借の神社唐津市で一番早いくんち場所です。
猿田彦大神を祀る。
バス停は「見借庚申様前」と、旧来の呼称を残してあるので、庚申尊の一体と知れる。
境内には庚申尊を表す三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が積んであり、やや異様な雰囲気。
三猿については飯田道夫『世界の三猿』が詳しい。
永禄八年(1565年)現在地に創建。
家内安全、五穀豊穣、開運、悪疫祓い火災安全、交通安全の守護神。
直方市の多賀大社前に坐す庚申社も、ここから勧請したものと伝わる。
この庚申尊は高台に坐す。
監視哨の役割を果たした地に見える。
境内は広くはないものの、高木あり藤棚あり歌碑や庭石ありとなかなかセンスが良く、そんな最近に創建されたとは信じ難いほど。
社殿右手に「大明神」境内社と思いきや、覆屋に保存するのはどうやら旧本殿のようだ。
肥前國風土記に曰く。
~昔は此の里に土蜘蛛有り、名を曰く海松橿媛(みるかしひめ)。
纒向日代宮御宇天皇、國を巡りますの時、陪従大屋田子(日下部君等の祖なり)遣わし誅滅の時、霞の四方に含みて物の色も見えず。
因みて霞里と謂ふ、今に賀周里(かすのさと)と謂へるは訛れる也。
~「みるかし」の地名は、みるかし姫すなわち景行帝以来のものらしい。
今でも霞が懸かるのだろうか?「霞の里」の地名にも惹かれるけれど、千年以上に渡り海松橿姫の名を伝えてきた人々は尊敬する。
猿田彦大神を祀る。
バス停は「見借庚申様前」と、旧来の呼称を残してあるので、庚申尊の一体と知れる。
境内には庚申尊を表す三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が積んであり、やや異様な雰囲気。
三猿については飯田道夫『世界の三猿』が詳しい。
永禄八年(1565年)現在地に創建。
家内安全、五穀豊穣、開運、悪疫祓い火災安全、交通安全の守護神。
直方市の多賀大社前に坐す庚申社も、ここから勧請したものと伝わる。
この庚申尊は高台に坐す。
監視哨の役割を果たした地に見える。
肥前國風土記に曰く。
~昔は此の里に土蜘蛛有り、名を曰く海松橿媛(みるかしひめ)。
纒向日代宮御宇天皇、國を巡りますの時、陪従大屋田子(日下部君等の祖なり)遣わし誅滅の時、霞の四方に含みて物の色も見えず。
因みて霞里と謂ふ、今に賀周里(かすのさと)と謂へるは訛れる也。
~「みるかし」の地名は、みるかし姫すなわち景行帝以来のものらしい。
今でも霞が懸かるのだろうか?「霞の里」の地名にも惹かれるけれど、千年以上に渡り海松橿姫の名を伝えてきた人々は尊敬する。
名前 |
猿田彦神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.5 |
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地元の方々が大切に祀られている神社。