山の中腹にあれだけの大きな城跡に感動しました‼️桐...
伊吹山登山の際に訪れました。
傾斜の急峻な山に設えられた山道を登る事、約小1時間。
すると何とも巨大な竪堀が先ず視界に入って来る。
そして傾斜が緩くなる頃には、放射状に作られた竪堀で敵の攻撃から守られた広い曲輪に到着する。
さらに進むと高く厚く造られた土塁で仕切られた曲輪が幾重にも続く。
そして再奥の小高い丘の主郭からの眺めはとても素晴らしい展望であった。
クマ、スズメバチ、ヤマビルに注意!遺構残存度 ☀️☀️☀️歴史重要度 ☀️☀️☀️☀️攻略難易度 ☀️☀️☀️☀️☀️見学難易度 ☀️☀️☀️アクセス度 ☀️☀️見学所要時間 2時間~6時間登城した日時 2021年10月24日9時~参考図書 近江の山城ベスト50を歩く上平寺城は、伊吹山(標高1377m)の南側山腹、弥生山から続く刈安尾の尾根上、標高約660m地点につくられた城である。
上平寺城は麓の京極氏館跡、家臣の屋敷跡とともに「京極氏遺跡」として国指定史跡になっている。
城名は伊吹四ヵ寺の一つの上平寺に由来し、その寺域につくられた城で、永正年間(1504~21年)に京極高清が築城し、太平寺城(米原市)から本拠を移したといわれている。
1524年(大永4)、領主の京極氏の内紛により上平寺を焼失し、城も荒れ果てたようである。
1570年(元亀1)、織田信長は越前の朝倉氏の疋田城(福井県敦賀市)、手筒山城(同)を攻略して金ヶ崎城(同)を攻撃したが、そのとき、浅井長政が信長に反旗を翻した。
『信長公記』によれば、長政は美濃と近江の国境を押さえ、美濃からの織田勢の進撃を阻止するために、長比城(米原市)、刈安尾城(同)とともに上平寺城を改修・整備した。
しかし、城将の堀氏と樋口氏が信長に内応したことから、その目的を達せず、その後間もなく廃城になった。
城跡には土塁、虎口、竪堀、堀切、曲輪跡などの遺構が残っている。
上平寺城の山麓には庭園を備えた京極氏の守護館や京極氏の家臣の屋敷跡がある。
標高669m、駐車場から比高350m隣の弥高寺とあわせて一城別郭☆駐車場、案内板ありの国史跡日の出前に登った🚶u200d♂️鳥居をくぐって登城道に入ると整備された山道がずっ~~と続くソコソコの急坂もある(^^;ゼーゼー目の前に竪堀♪が見えていよいよ本格的な城域に畝状竪堀群のお出まし( ☆∀☆)三の丸に真っ直ぐな坂状土橋♪堀切♪を渡れば枡形虎口♬二の丸の郭群には土塁ぐるり♬またまた連続竪堀♪主郭にも土塁ぐるり♪背後には大堀切♬に土橋♬などなどなど戦国遺構タッップリ♡(⌒∇⌒)vワーイ朝日が出てきて写真も日の出入り遺構フォトが撮れた📸主郭からの眺めも良き良き(^o^)/さてさて、モチのロン 隣の弥高寺跡に行くべし!あちらも戦国遺構バリバリ~εu003dεu003dヽ( *´▽`)ノ
京極氏の本城。
山城部分と居館部分から構成されていた。
居館部には豪壮な庭園が残る。
伊吹山登山道で立ち寄りました史跡としての価値はわかりませんが登山道として数少ない休憩できるポイントです。
綺麗に整備されてます。
地元のかたの努力が見えます。
遺構がしっかり残っています。
山の中腹にあれだけの大きな城跡に感動しました‼️桐ヶ城跡からは見晴らしも良く琵琶湖等も一望できます。
通常の伊吹山登山道と違い距離も長く緊張して出かけましたが、静かな登山らしい登山道を楽しみました。
眺めはバツグン。
熊いるかも。
気をつけて。
名前 |
上平寺城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
ヒルがそこかしら沢山出るらしいんですって!ヤマビル対策していきましょう!