江戸時代が残っております。
江戸時代が残っております。
関東大震災にも東京大空襲にも生き残りました。
貴重な東京の中の江戸です。
看到花崗石製成的大石鳥居⛩️就知道進入東照宮的境內了。
備前の御影石を使用した石造明神鳥居で、1633年(寛永10年)に酒井忠世により奉納されたもので、国指定の重要文化財である。
柱に、寛永十年四月十七日酒井忠世の寄進銘、及び、享保十九年十二月十七日の修造銘がある。
JR各線(山手線、高崎線、常磐線、東北新幹線等)・上野駅公園口から歩いて10分強くらい、京成本線・京成上野駅池之端口から歩いて10分弱くらい、東京メトロ銀座線&日比谷線・上野駅不忍口から歩いて10分強くらいのところにある、徳川幕府初代将軍・家康公(東照大権現)、8代将軍・吉宗公、15代将軍・慶喜公を祭神として祀っている神社である。
1627年(寛永4年)に、寛永寺の伽藍の一部の東照社として、津藩主・藤堂高虎(築城技術に長け、江戸城を築城した人物としても知られている)と、天台宗僧侶・天海僧正(家康公のブレーンとして有名で、江戸の町の設計にも大きく関わった)により、高虎の屋敷地(現在の上野恩賜公園内)に創建されたそうである。
江戸の町づくりに大きな影響を与えた2人が創建に関わった上野東照宮は、寛永寺とともに江戸城の東北、鬼門の方角を守護する役割を果たしてきたそうなのである。
1646年(正保3年)には、朝廷より宮号を授けられ「東照宮」となったようだ。
現在の社殿は、1651年(慶安4年)に3代将軍・家光公が造営替えしたもので、日光東照宮まではお参りに行けない江戸の人々のために豪華な社殿を建てたと言われており、社殿は金箔を使った豪華な造りで、それゆえに「金色殿」とも呼ばれており、国の重要文化財に指定されている。
この際の造営替えでは、約250基の灯籠が全国の大名から奉納されたそうである。
この慶安4年の改築以降、幕末の上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦等の様々な天災・戦災による消失を免れており、当時の面影を残した本格的な江戸建築を間近で見ることができる貴重なスポットなのである。
江戸初期に建立された社殿が、これだけの災害を免れて現在に至るのは、奇跡的であると言われている。
前述のように、様々な天災・戦災の被害に遭うことなく現存していることから「強運の神」として、また、家康公を祭神としていることから「出世・勝利・健康長寿の神」として信仰されているのである。
趣きのある石鳥居☺️
奥行きがあって綺麗。
名前 |
上野東照宮大石鳥居 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
東照宮社殿 石造明神鳥居とうしょうぐうしゃでん せきぞうみょうじんとりい宗教建築 / 江戸 / 関東東京都江戸前期/1633石造明神鳥居柱に寛永十年四月十七日酒井忠世の寄進銘及び享保十九年十二月十七日の修造銘がある1基東京都台東区上野公園重文指定年月日:19421222国宝指定年月日:東照宮重要文化財(文化遺産オンラインHPより)