戦争の日本遺産として管理されています。
戦時中に小中学校の生徒達が掘ったとのことですが、中はかなり広大です。
これだけの物が現在まで保存されているのはなかなか凄いことではないかと思います。
当時の人は、毎日が命がけだったんですよね、世界中の人が、平穏に暮らせる時代が、早く訪れることを、願っています。
第二次世界大戦の最中に岩を削って掘られて作った学校?必見の価値がありますか😀
戦争の日本遺産として管理されています。
佐世保市内からは少し離れていますが一見の価値ありです。
ボランティアのおじいちゃんが詳しく説明してくれます!戦争世代の方はやはり元気が良いね!長生きして下さい。
戦時中に小学生と中学生で洞窟を掘り学校として使っていたとの事。
終戦末期は日本軍が使用してたらしいです。
ちゃんと教壇もあり、炊事場にトイレ、物置など。
戦時中は真っ暗な中で過ごしていたのかな。
とか色々と考えました。
全く戦争を知らない世代に生まれたので、映像や資料でしか垣間見る事が無いので、当時の人達の生活などに触れる事が出来る貴重な場所です。
ハウステンボスなどで楽しむのも良いですが、こう言った歴史に触れる事が出来るうちは見学した方が良いと思います。
川棚周辺には旧日本軍の軍事遺構が数多く残っていますが、綺麗に保存されている訳ではないので、私達が知らない間に取り壊されたりしたなら、実際にみて触るなどが出来ませんので、お時間のある時に是非とも観光に行って欲しいです。
戦争史跡。
地元の小学生が動員され、防空壕として掘られた。
ボランティアガイドさんがいる。
10分程で見終わる。
タダなので、通りがかりに観てみては。
戦争遺産としての価値はもちろんの事、当時の人たちのたくましさがとても感じられた。
ガイドさんがとても親切でした。
保存も完璧で、一見の価値あり。
第二次世界大戦末期に、主に児童の手によって彫られた防空壕です。
中は結構な広さで、便所に炊事場、教室に教壇まで備えられています。
重要書類の保管庫に御真影棚まであります。
単なる避難場所でなく校舎が焼け落ちた場合の代替教室と想定されていたようです。
そういう状況で御真影なんざどうでもええやろと思うのは、戦後世代だからなんでしょうね。
ただ、涼しくはあっても結構じめじめしているので、安置してしばらくするとカビの生えた御真影になったと思います。
貴重な戦争遺構ではあるものの物語性にとぼしく、さほどの見ごたえでもないことから評価は★二つです。
駐車場あり。
ガイドさんもいます!とても丁寧な説明をしていただき助かりました。
相次ぐ米軍の空襲により600人の生徒達の安全を危惧した旧宮村国民学校の校長先生の発案で、終戦の日まで2年の月日をかけて当時小中学生だった子供達によって掘られた防空壕/地下教室。
高学年男子がツルハシで掘り、女子が整形(表面を平にする)、下級生が運び出しを担当して完成させたそうです。
実際に使われたツルハシ、ザル、机が飾ってあります。
全て校長先生の指示に従ったそうで、設計図などは無いそうです。
凝灰岩というをくり抜いて掘られた洞窟は1番大きな部屋が幅5m、奥行19mもあり、水飲み場と奥には教壇もあります。
実際にここで授業をすることもあったようです。
他に書類室(天皇陛下の御写真を飾る棚も)、食料庫、台所、トイレ、避難道も全て手作業で作られました。
戦後に生まれた自分は本当に恵まれているんだなと実感させられました。
今まで写真で何度か見たこともあるのですが、実物を見てこれが自分の子供と年齢の変わらない子供達によって掘られたものだと思うと本当に圧倒されます。
是非是非見に行ってください!
ボランティアガイドの方に説明してもらうことを強くお勧めします。
なんとなく入るとちょっとした洞窟程度にしか思えないかもしれませんが、説明を聞くことで、防空壕内部の空間の用途、壁の磨き方の違い、当初の用途と実際の用途の違い、防空壕内部の機能など様々な理解を得られます。
見学した際は子ども連れのグループもいましたが真面目に話を聞いており、子どもから大人まで「学ぶ」ことのできる施設になっています。
すぐ近くのハウステンボスが元々どのような施設だったかも聞けます。
後世に残していきたい施設の一つだと感じました。
#佐世保鎮守府 #日本遺産 巡り、今日は無窮洞に来ました。
敗色が濃くなり、米軍の空襲が頻発していたので、旧宮村国民学校校長の発案で、同校の生徒らが手掘りした防空壕です。
防空壕といっても、中に入るとその広さに驚かされます。
説明文によると、「空襲の時に全校生徒約600人が避難」とありますが、その人数、さすがに窮屈でしょうけど、命には替えられませんからね。
そんな極限状態の中、しかも掘ったのは今でいう小学生。
それなのに、とても繊細な細工がしてあるのです。
そして、来るべき本土決戦への備えも。
洞窟の奥には、烹炊所と倉庫までありました。
烹炊所の一隅に上に抜けるトンネルがあります。
炊事の排煙と洞内の換気、そして上の山に抜ける非常口の役割も果てしていたといいます。
ここは上と下の両側から掘ったとか。
子供たちですよ?繋がった時は万歳三唱だったとか。
講堂部屋には全く水滴が滴ってませんが、敗戦で掘削を中断した倉庫部屋は仕上げが行われていませんので、雫が落ちてます。
水は同じところに落ちるので、穴を穿ちます。
指の関節2つ分くらいの、75年の時の重み。
防空壕の入り口にある「無窮洞」の銘は、当時の校長先生によるもの。
提督の皆さん、艦これの聖地巡りの時にはぜひ、足を伸ばしてください。
先人の素晴らしさ、子供たちの生きたい、生かしたいという思い。
これらの史実を、ガイドさんから説明を受けながら洞内を巡ると、その感慨もひとしおですよ。
戦時中に学校として使われていた洞窟。
小学生や中学生が掘って作られてらしいです。
終戦から幾ばくも月日が流れても綺麗に残っている事が凄いです。
佐世保方面は旧日本軍の遺構等が点在するので見て回るのも良い事だと思います。
ボランティアガイドの方が最高。
本当に感謝子供の教育やデートにも最適。
意外と中が広い。
子供たちが防空壕を作るために手彫りで掘った穴です。
中を見学することが可能ですので、是非ともお立ち寄りを‼
9:00~17:00に無料で見学できます。
ガイドの方の説明を聞くことができます(20分ほど)。
太平洋戦争中に宮国民学校の12歳までの生徒と、先生とで2年に渡って掘られた防空壕です。
教壇の造りなどはまるで教会のようですが、教室としてはあまり使われる事はなく、多い時は600人程の避難所になっていたそうです。
入り口は狭いですが、中に入るとかなり広く、年間を通して20度くらいの温度ということ。
当時使っていたであろうつるはしの展示や、製作途中のかまど、炊事場などもあり。
駐車場は無料です。
トイレあり。
防空壕の中は一部、地面に水が溜まっていたり、天井から水滴がポトポト落ちてきたりします。
防空壕に入ったのは初めて!!2度と繰り返してはいけない戦争の遺物。
戦中ゆえ貧相な工作物ですが、命を掛けた現物を見れるという観点で評価します。
すぐ脇に無料駐車場もありお手軽です。
ハウステンボス観光と併せて お立ち寄り下さい。
戦時中に小学生などが手掘りで掘った洞窟の学校。
見る価値はありますよ。
塞がれたり、倉庫等に利用されている中で当時のまま保存されているのは凄い事。
現在調査中だが、国内一の広さかも知れないとのことでした。
近所の方の話では、以前に乞食(浮浪者)が住み着いていて追い出したと言うエピソードも聞けました。
それだけ完成された防空壕だったと言う事ですね。
ボランティアガイドさんが30分くらい掛けて丁寧に説明して下さいます。
戦争の愚かさを身をもって体験できる場所です。
あの戦争に勝っていたら当時の子供達もこんな苦労をせずに済んだのに。
素晴らしい❗小学生が手彫りで造り上げたのはもちろん、ここまで素晴らしい状態で保存されてるのが…日本一の防空壕ではないだろうかただ一つ、便所がふさがれてるのが残念だった日本遺産? になったので開放しようにも手をいれられないという事だった。
戦争時代、先生と生徒達が作った防空壕です。
大変広く天井も高いです。
駐車場はありますが広くはありません。
入場料は無料。
おじさんが案内をしてくれる時あり。
名前 |
無窮洞 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0956-59-2003 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト |
https://www.city.sasebo.lg.jp/kyouiku/bunzai/documents/mukyuudousaisinn.pdf |
評価 |
4.2 |
施設の名称の変更をするべきです。
こんなに素晴らしい歴史あるものを保存し、後世に伝承していくには必要であると思います。
無窮洞の意味は十分理解しましたが、少し難しい!まずは多くの人に興味を引く事も大事です。
佐世保市さん考えてみてはどうでしょうとにかく一見の価値があります。