夕焼けのときにくると見晴らしがいい。
宇喜多秀家公と豪姫の像 / / .
岡山城の方向を向いているのかと思いきや、大東島の方向を見つめられておられます。
南大東島は八丈島出身者の方が多いからかな??
(2022/09) 八丈島最初の流人・宇喜多秀家公は南原千畳敷で釣りをするのが好きだったそうで、それでここに1997年に像が建てられた。
旧領地・岡山城を向いてるそうな。
石材は花崗岩だと思うが、江姫の方は、ちょっとピンクっぽい石材なのもポイント。
関ヶ原の合戦で敗軍の将となり八丈島に島流しになった宇喜田秀家と前田家の姫で秀家の妻である豪姫の像です。
平成9年に宇喜田秀家の居城岡山城築城400年を記念して八丈島に像が建立されました。
説明では岡山城の方を向いているとされていますが、全く違う方向を向いているように思えます。
宇喜田秀家は八丈島に流されて人生の大半をこの地で過ごしましたが、豪姫は八丈島に来る事は無く、生家の前田家の庇護のもと加賀で人生を終えました。
豪姫は関ケ原後、洗礼を受け独身を貫きましたが、宇喜田秀家はこの地でたくさんの子供を造りました。
ただ、秀家は前田家の援助で、生産性の低い八丈島でも困窮することはなかったようです。
八丈島で知らない人はいない豪姫は前田利家とまつ夫婦の四女。
幼少時に秀吉とねね夫妻に養子に出されました。
関ヶ原の戦いから6年後の1606年に秀家は2人の息子とともに八丈島へと流されてきたようです。
豪姫は亡くなってから宇喜多秀家公とここで故郷の方を眺めながら祀られてるのですね。
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで西軍の主力となったため、戦後八丈島に流されました。
30代で流されて84歳で亡くなるまで、ずっとこの島にいました。
つまり、人生でこの島にいた期間が最も長いのです。
こじんまりしてました。
隣の碑が読みづらかった。
隣のバーベキュー場は休みでした。
天気良く 時間も間に合いとてもすばらしい夕日を見る事が出来ました。
感動ものです。
溶岩でできた海岸に立つ石像。
美しい景色が味わえるはずがこの日はあいにくの雨と風。
故郷の地を踏むことがなかった切ない気持ちが伝わってくる場所。
沈み行く夕陽を見つめる二人。
ここからの夕陽は格別です。
関ヶ原で敗れ、流刑になった宇喜多秀家公とその奥方の碑です。
自分の領地だった備前(岡山)を向いているのかどうか、確かめてみてください。
宇喜多秀家、豪姫の碑(八丈島)東京都八丈島八丈町大賀郷豪姫は前田利家の四女羽柴秀吉の養女で秀吉の仲人で備前宰相・宇喜多秀家と婚姻秀家17歳、豪姫15歳で結婚2男1女を儲ける関ヶ原の合戦で秀家が西軍につき敗北、八丈島へ流される豪姫も八丈島同行を希望するも実家・前田家で孤閨を守る61歳で死秀家はその後21年で死いきな計らいで豪姫、秀家は400年後八丈島に碑が建てられようやく再会ロケーションは抜群茫々と風が吹き渡り太平洋の大波が白く砕け人の生死も洗い流し無常を感じた。
何もない千畳敷と海原を、仲良く並んで見ている像です。
近くに溶岩で出来た椅子があるので、座って夕陽を眺めるのも良いです。
石像自体はどうということはない内容。
やだ、まわりの景色は美しい。
ふるさとがある方向に座るふたりの背中がせつない。
夕焼けのときにくると見晴らしがいい。
八丈島に流された秀家が築城した岡山城の四百年を記念して建てられた像です。
名前 |
宇喜多秀家公と豪姫の像 |
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ジャンル |
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電話番号 |
04996-2-1377 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
南原千畳敷のすぐ近くなので寄ってもいいかも。