スカイツリーとのトリオで塔が撮れる。
浅草寺境内から五重塔と東京スカイツリーのコラボした写真が撮れます。
2023.5.3五重塔はなんと、スリランカのイスルムニヤ寺院から奉納された仏舎利。
塔の高さが地上53.32mとのこと。
スリランカ伝来の仏舎利を奉安朱も鮮やかな五重塔は、昭和48年(1973)に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。
外から見ると、五重塔は地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の上に建っている。
塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを起源とする。
浅草寺の五重塔の最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から昭和41年(1966)に奉戴した仏舎利が納められている。
浅草寺に塔がはじめて建立されたのは、天慶5年(942)、平公雅によるとされる。
当時の塔は三重塔であり、本堂に向かって二つの塔が左右に配された、「薬師寺式伽藍」ではなかったかという見解もある。
というのも、江戸時代・寛永年間の浅草寺境内図を見ると、当時は、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建ち、境内に二つの塔が並存していたからである。
焼失後、慶安元年(1648)に徳川家光が五重塔を再建するものの三重塔は復興されなかった。
この慶安の五重塔は本堂の東側に位置し、現在も礎石が残る。
江戸時代は、上野寛永寺五重塔、芝増上寺五重塔、谷中天王寺五重塔とともに「江戸四塔」として親しまれた。
特に浅草寺の五重塔は、浅草や浅草寺を描いた絵画における必須のモチーフであり、浅草のランドマークであった。
明治19年(1886)、各所傷んでいた塔を修復することになり、塔のまわりに足場が組まれた。
このとき修復の費用を捻出するために、一般の参拝者に足場を登らせた。
足場に設けられたスロープ沿いに最上層の屋根部分にまで登れたため、人びとは遥か遠くまでの眺望を楽しんだことだろう。
五重塔最上層にある「聖仏舎利」に参拝。
仏舎利とはお釈迦さまのご遺骨のことらしいですよ。
浅草寺の境内にある立派な「五重塔」です。
浅草寺のHPによれば『朱も鮮やかな五重塔は、昭和48年(1973)に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。
外から見ると、五重塔は地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の上に建っている。
塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを起源とする。
浅草寺の五重塔の最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から昭和41年(1966)に奉戴した仏舎利が納められている。
』とのことです。
東京都台東区浅草の浅草寺にある「五重塔」です。
平日に行きました。
五重塔は西暦942年に建立されたのがはじまりとされています。
一般の人は中に入っての見学は出来ないみたいですが、間近で見る五重塔は迫力があります。
夜になるとライトアップもされて一段と美しい五重塔が見れるみたいなので次回は、夜に行ってみたいと思います。
ライトアップされるととてもきれいです。
2020Spring::雷門と並び、圧倒的な存在感を放つ五重塔は、実は再建されていない対の塔があったと言い伝えられています。
本堂西側からの桜とのベストショット!📸
すっかり曇り空になった…だが、浅草寺は見事だ。
鉄筋コンクリート製だが、ないよりあった方が良いとはまさにこの事。
作りが現代のものになったと考えれば特段に批判的になるものではない。
ただ、木製であったら良かったな思うことはある。
綺麗な五重塔。
残念ながら非公開です。
地上からの高さは53mです。
五重塔は、1973年に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。
外から見ると、五重塔は地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の上に建っている。
浅草寺に塔がはじめて建立されたのは、942年、平公雅によるとされる。
当時の塔は三重塔であり、本堂に向かって二つの塔が左右に配された、「薬師寺式伽藍」ではなかったかという見解もある。
焼失後、1648年に徳川家光が五重塔を再建するものの三重塔は復興されなかった。
古代インドに設けられた釈迦の墓・仏塔(ストゥーバ)が五重塔の原型になるそうです。
そして、てっぺんにある法輪が塔の本体だと聞いたことがあります。
大概の人は屋根の数を指すようですが、ストゥーバの上部に傘のようなものが乗っているそうです。
古代インドでは高貴な人が歩く場合、下僕が傘を高貴な人にさしていたらしく、ストゥーバの上部の傘は、それを表しているそうで、その傘の数が多いほど尊敬しているという意味になるそうで、五重塔の場合も屋根ではなく法輪の数が「私は釈迦をこんなに尊敬してるんです」と表現しているそうです。
塔の内部は誰も見られませんからね。
昭和48年(1973)に再建されました。
鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔です。
最初の塔は天慶5年(942)平公雅によるとされる。
当時の塔は三重塔であり、本堂に向かって二つの塔が左右に配されたものともいわれます。
その後何度か焼失再建が行われ、江戸時代三代家光が建てた五重塔は上野寛永寺五重塔、芝増上寺五重塔、谷中天王寺五重塔とともに「江戸四塔」として親しまれました。
当時は今の場所ではなく向かい側(派出所のあたり)にありました。
残念ながら昭和20年(1945)3月に戦災で焼失したため再建されたものになります。
また内部公開はしてないので、外観のみの見学です。
浅草寺は東京大空襲でほぼ全焼。
徳川家光の建立した慶安年間の伽藍をほぼ復元しているが、五重塔だけは位置が逆で、元は境内東側にあった。
巨大な仏塔です。
浅草寺の境内の西側に建っています。
中々重厚な造りです。
高さは地上より53m。
内部は心柱が通る空洞で、実際には登ることができない。
夕方西日が当たり金色の塔がキラキラ輝いていて嫌いでした。
こちらも観光客の写真撮影で混雑していました。
とてもカッコいい塔で写真映します。
すごく絵になりますね最近お色直しされて綺麗ですこのあたりはみんな写真撮りまくりです。
三社祭に参拝。
ワールドワイド‼️
改修工事が完了して久々に美しい全容を眺めることができる。
宝蔵門とのコントラストがいい♪
淡島堂境域にある写経供養塔を入れると、スカイツリーとのトリオで塔が撮れる。
現在(2017.2月)、五重塔は大規模営繕中。
3.11の被害で相輪(宝珠の部分)が折れたまま。
心柱にもダメージがあるらしい。
浅草寺境内の景観のアクセントは、やはり五重塔です。
早く直る事を願います。
名前 |
浅草寺 五重塔 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3842-0181 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
夕方に行った為、綺麗なライトアップで見る事が出来ました。
ライトアップされた五重塔はとても幻想的で、至る所で記念撮影をしている方々が沢山いました。
日中よりは人の混雑具合もひどくはないし、ライトアップの時間帯、なかなかオススメです。