医王寺石造宝篋印塔の特徴
名前 |
医王寺石造宝篋印塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
金座山医王寺に伝承される『医王寺石造宝篋印塔』は市原市の有形文化財(建造物)に指定され、平安時代(794~ 1185年)末期の武将・平重盛(小松内大臣)の供養塔ともされます。
推定総高は1.64mの安山岩製関東型中型宝篋印塔で、基壇・反花座(かえりばなざ)・基礎・塔身(後世で補修)・笠・相輪(宝珠と請花が欠失)から構成され、二重複遍弁の反花座内部に奉籠孔(ほうろうこう)が穿たれ、笠の枘穴(ほぞあな)が大きく、短い相輪などに古式の特徴を示しています。
建造年代は、同じく市原市の有形文化財に指定され鎌倉時代(1185~1333年)末期の建造とされる『常住寺の五輪塔・宝篋印塔附板碑』と応安5(1372)年の銘が刻まれ親皇塚古墳(市原市菊間)墳丘から上総国分寺(市原市惣社)に移された『将門塔』の中間年代である南北朝時代(1337~1392年)とされ、各部に鎌倉時代の特色をとどめた学術的価値の高い優品です。
医王寺寺号標から西へ進むと案内版があり徒歩2分のアプローチです。