名前 |
千歳山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
1.5 |
別名・田原城とも呼ばれており、平将門の末裔とされる相馬小七郎民部少輔秀政により築城・初代城主となりました。
嘉吉の乱(1441)で山名軍に攻められ落城、山名軍に降り、秀政に子がなかったため網引の高田氏から来た養子高田兼清があとを継ぎました。
その後、応仁の乱で赤松政則に従って山名氏に羽反旗を翻し、山名宗全の軍と戦い手柄をたてましたが、五代目政弘が開城し網引に移り武士を捨てた為、廃城となったそうです。
現在は高森稲荷神社が建っており、城跡としてみるには厳しいものがありますが少し場所を離れてみると山城まではない平山城で構成された陣形に見えますが、遺構については完全に解明されてないようです。
個人で見た場合、稲荷神社を正面からみて境内右側から入ることができ、土塁と思われる土盛りや平坦地らしき跡を見ることが出来ます。
神社を出て周囲をみると城をぐるっと囲っていたであろう犬走らしき遺構跡と思える場所も見ることが出来ます。
車で行く際は、目前に県道81号線が走っており周辺まで近づくのは問題ありませんが、停車できる場所を探す必要はあります。