今から二百三十年ほど前になる。
案内板あり。
鉄平石。
一度バキバキに折れたらしく、修復痕が多数あり。
内容は漢文で、異体字混じり。
撰文は岡田宜汎(ギハン)という儒者(通称は彦左衛門で、字は彦愛)。
以下,翻刻する。
なお,『』は石碑上の欠落を確認した部分。
改行は「平出」というレトリックであり,ミスではない。
【白文】「?春?碑」我公之園名占春其中所觀梅櫻桃李林鳥池魚緑竹『丹楓』秋月冬雪凡四時之景莫不有焉而名以占春者何也園『舊』有古櫻樹蔽芾數丈春花可愛夏蔭可憩先君恭公之少壮也馳馬試劍毎繁靶於此樹而憩焉因名云駒繋至荘公之幼也猶及視之於是暮年花下開宴毎會子弟必指樹稱慕焉我公追慕眷戀専心所留遂繞此樹増植櫻數百株花時會賓友鼓瑟吹笙式燕以敖旨酒欣欣燔炙芬芬殽核維旅羽觴無算豈啻四美具乎哉物其多矣維其嘉矣偕謡既酔之章且献南山之壽『我』公稱觴顧命臣宜汎曰是瞻匪亦所為後世子孫徒為游『楽』之場是懼焉子爲余書於石宜汎捧稽首曰桑梓有敬燕『胥』思危誦美有辭陳信無愧謹壽斯石萬有千載本支百世『永』承景福『之賜』時『延享丙寅』春三月 岡田宜汎 捧撰 宇留野震 謹書【読下し】「我が公の園,占春と名(ナヅク)る。
其中(ソノウチ)観るところ,梅桜桃李,林鳥池魚,緑竹丹楓,秋月冬雪,凡そ四時(シジ)の景(ケイ)有らざるはなし,而して占春を以て名(ナズク)るはなんぞや。
園,古桜樹(コオウジュ),舊(フル)く有り。
蔽芾(ヘイハイ)数丈(スウジョウ)。
春は花を愛(メ)ずべく,夏は蔭に憩うべし。
先君恭公の少壮(ショウソウ)や。
馬馳せ,剣試し,この樹に靶(タヅナ)を毎(ツネ)に繋ぎて憩う。
よりて駒繁と名(ナヅ)くと云う。
至りて荘公の幼きや。
猶,之を視るに及べり。
是に於いて年を暮(ク)れ,花下(カカ)に宴を開き,子弟に会う毎(ゴト),樹を必ず指して称慕(ショウボ)す。
我が公眷恋(ケンレン)追慕(ツイボ)し,専心(センシン)留めるところ,ついにこの樹を繞(メグ)り,桜数百株に増殖(ゾウショク)し,花時(カジ)賓友(ヒンユウ)を会(アツ)め,瑟(シツ)を鼓(ヒ)き笙(ショウ)を吹き,式(モッ)て燕(エン)し以(モッ)て敖(アソ)び,旨酒(シシュ)欣欣(キンキン),燔炙(ハンシャ)芬芬(プンプン),殽核(コウカク)維(コレ)旅(ツラ)ね,羽觴(ウショウ)算(サン)なし。
豈(ア)に啻(タ)だ四美(シビ)具(ソナ)わるのみならんや。
物(モノ)其(ソレ)多し,是(コレ)其(ソレ)嘉(ヨミ)し。
偕,既酔の章を謡う,且,南山の寿を献ず。
我が公は觴(ショウ)を称(タタ)え,臣宜汎に顧命(コメイ)して曰く,是(コレ)瞻(ザン)として亦為すところに匪ざる。
後世子孫,徒に游楽(ユウラク)の場と為すを是懼(オソ)る。
子,余のため石に書け。
宜汎稽首(ケイシュ)を捧げて曰く,桑梓(ソウシ)に敬有らば,燕胥(エンショ)に危思(オボ)う。
美を誦(トナ)うに辞有り。
信(シン)を陳(ノ)ぶに愧(カイ)無し。
この石を謹んで寿(コトホ)ぐ。
万有千載(バンユウセンザイ)、本支百世(ホンシヒャクセイ)、景福の賜を永く承わん」【私訳】「わが殿のお庭は占春と申します。
見所は,梅に桜に桃に李,林の鳥に池の魚,緑の竹に丹の楓,秋の月に冬の雪,およそ四季の景色でないものはございません。
なのに,どうして春の名だけを冠するのでしょうか。
園に古い桜の木が昔からございます。
枝の広がり数十m。
春には愛すべき桜花,夏には休むべき木陰がございます。
先代恭公様(松平頼元)の若盛りには馬でこちらに馳せられまして,剣の鋭鈍を試し,この桜に馬の手綱を必ず結んでおりました。
このため「駒繁」と名付けられたといいます。
荘公様(松平頼貞)の幼年期に至りましても,古桜はまだまだございました。
そして,年を取りまして,古桜の下で花見を開き,子供達に会うたびに樹を指さして褒め称えたとか。
わが殿は,(亡くなったお二人を)心に思っていつも忘れずに追い慕い,それを心掛かりとしておりました。
そこで,古桜を巡らす桜を数百株に増やし,花見盛りに賓友を集めて,大琴と笛を演奏し,宴会を開いて遊びました。
旨い酒にわいわい,焼き肉がぷんぷん,酒の肴はたくさん連なり,羽觴(羽の付いた中国の杯のこと)も数えきれません。
ここには四つの美しいもの※以上のものがありました。
物は多いですが,これはそれで良いのです。
(詩経に掲載されている)既酔の章を皆で歌い,(長寿を祝う漢詩)南山の寿を献じます。
わが殿は盃を誉め,臣下宜汎に顧命して,おっしゃります。
「この景色を見上げるのは,大いに思うところではないよ。
予の子孫がこの場所をただの遊び場と思ってしまっては困る。
宜汎よ,予のため,石に刻み付けてくれ」と。
宜汎は稽首礼(u003d中国の土下座に似た敬礼)を捧げ,申し上げました。
「桑梓を敬えば,(殿の子孫は)宴会の危うさを覚えることでしょう。
(私には)美を称える言葉があります。
この真実を(順を追って)述べることに恥はございません(喜んでお引き受けします,の意味か)。
この石を謹んで(長く歴史に残れと)寿ぎます。
あらゆるものよ長かれ,本家分家の子孫が長く栄えたまえ(守山松平家は,水戸徳川家の分家),そして景福の賜を永く承いますように」と」詩経から引いたものが多い様である。
しっかりと原典などを確認していないので,参考程度に。
【その他】四美 u003d 四つの美しいものを指す言葉。
「治・安・顕・栄」「音・味・文・言」など。
文脈によって何を指すかが異なるそうであるが,文脈的に後者の意味と思われる。
名前 |
旧守山藩邸碑文 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
説明板には「この碑は、延享三年(西暦一七四六年)春三月に建てられたといわれるから、今から二百三十年ほど前になる。
ここ吹上邸を上屋敷とされた守山藩主松平頼寛(三代目)が、その臣岡田宜汎に命じて記させたもので、高さ一.四米、幅〇.七七米の鉄平石に刻まれた碑である。
この碑文には、藩祖頼元より頼寛に及ぶ三代の占春園にまつわる記事があり、特に占春園と命名された由来を持り持つ古桜樹や、桜花の春に催された佳会の盛宴などが興味深く記されていて、往時の大学頭邸の景観と歴史が追憶される。
」・・・とありました。