ここが御坂城跡と気づきませんでした。
何も知らずに歩いていた時から、不思議な地形だと思っていました。
自然を生かした人工物だったのでした。
鎌倉古道を登ること120分!急坂ではないが、登りきるとそこには立派な山城が!!古道を挟むよーに配置される遺構はよく残されていて(๑•̀ㅂ•́)و✧ちなみに黒岳まで登ると富士山見られるよー。
武田氏滅亡後、北条氏によって築かれたらしいのですが、それ以前も武田氏の狼煙台があったという話もあります。
ですのでおそらく当時修復されたかと思います。
この御坂峠を通る時、堀の跡などがあって歴史の一部を垣間見えることができます。
それより勝頼かわいちょ😭
南を向いた武田の丸馬出u0026三日月堀、北を向いた北条の角馬出が埋もれながらも確かに存在していた。
これぞお宝♪o(^-^o)(o^-^)o尾根削りの横堀.竪堀は規模がデカイヽ(*´▽)ノ♪土塁に堀切もたっくさん残ってて見応えありあり( v^-゜)♪
登山で言うところの御坂峠はここのようです。
茶屋跡の廃墟と、フルオープンのくみ取り式トイレ、御坂天神の祠がありました。
戦国期の北条氏の城郭遺構が良く残り、大変素晴らしい‼️
ここが御坂城跡と気づきませんでした。
鎌倉往還道の峠を封鎖する様に城域が展開しています。
更に御坂山方向と黒岳方向にそれぞれ城域は伸び、峠を見下ろせる城郭になっています。
標高1500Mを越える地点に有り、城跡に到達するには比高500Mを自らの足で登るしかありませんが、それに報いる素晴らしい遺構が残っています。
本能寺の変で織田信長が討たれたため、空白地となった甲斐の領有をめぐり、徳川家康と北条氏政が武力衝突を繰り返します。
御坂城は徳川.北条の抗争の舞台になった城となっています。
名前 |
御坂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
2016/11/6もとは武田氏の城か狼煙台があったと云われる。
1582年、天正壬午の乱で北条氏忠が入り、小山城の徳川方と対峙した。
このとき大改修され現在の姿になった。
標高が1500m以上あるだけでなく、城内の高低差もかなりあった記憶がある。
大人数で行き、本格的な登山だった⛰️