平家の落人と共に、穏やかな時間を。
緒方家の特徴
源平合戦にまつわる歴史を学べる観光スポットです。
築後300年の茅葺き屋根の古民家で、昔の生活が感じられます。
平家の落人が隠れ住んだ歴史的な場所で、穏やかな雰囲気が漂っています。
八代からの山道経由で訪問しました。
平家の五家の話、建物の説明など興味深く非常に面白かったです。
各地に「五家」の有る意味など興味深く参考になりました。
過去に宿として使われた場所。
平清盛像あり。
係員さんが丁寧に説明してくれます。
駐車場、トイレあり。
五家荘と言ったら紅葉の時期に訪れるとよいでしょうあいにく今年の紅葉はあまり見えなかったですが…ガイドさんが昔のお話やクイズなど出して楽しませてくれますよ。
平家の落人が隠れ住んでいたらしい。
文化財として意味がある。
赤くなったもみじとの風景が美しくて、穏やかな時間が流れました。
邸内に平清盛像がありますが、ちょっとびっくりしてしまいました(汗)入場料は200円でした。
源平合戦において平家は都落ちの後、大宰府へと逃れ形勢を立て直すべく九州の領主に救援を求めるが協力する者は殆どいなかった。
平重盛の三男である清経は、重盛と主従関係にあった豊後の緒方三郎惟栄に救援を求めるが緒方惟栄は源氏方につき平家討伐軍を送る。
平家は大宰府から宇佐へと逃れ四国へと逃れるが、平家物語ではその際に宇佐の柳が浦で「都を源氏に攻め落とされ、九州を惟栄に追い出される。
網にかかった魚のようだ。
どこへ行けば逃れることができるであろう。
生き永らえて天寿を全うできる身でもない」と言い清経は入水したとされる。
平清経は入水せずこの五家荘に逃げ延びた、という言い伝えとなっている。
源氏方につきはしたが平家にも恩があった緒方氏が清経を匿い緒方姓を名乗らせ五家荘の山中に隠れ住まわせた、というのはいかにもありそうではある。
源氏に味方した豊後の緒方惟栄も源義経に味方しすぐに滅びているため詳細は分からないが本当に生き延びていたとしたら面白い。
なんとも言えない雰囲気があります。
ある程度人生経験がないと、ここの良さはわからないかも。
1人の老人の中に生き続ける80年前の五家荘。
緒方家の解説をしてくれるお爺さまはこの地域の生まれで、家の話と自分の半生について語ってくれます。
家の歴史については後代まで残っていくと思うので、ここではお爺さまの話を少し。
お爺さまは8年間山向こうの峠を越えたところにある学校に通い、その後郵便局員として毎日獣道を歩いて五家荘の各家に郵便を届けていたそうな。
その距離実に24km。
30半ば過ぎて後進に職を譲り、百姓としてその後は暮らしていくことになったとか。
暮らしは貧しく、米は盆と正月のみで粟稗とうもろこしなんかを食べていた。
栗の落ちる季節になると、囲炉裏の上のムシロで燻し乾燥させるのだが、栗の中にいる虫がぽとぽと落ちてくるのだと。
緒方家に住んでいた婆さんは、草刈りの途中でマムシに噛まれ右手が動かなくなったとか。
そんな婆さんに叱られるときは、家の中にある首置き棚を見せられて、悪さをしたらお前さんの首が此処に乗るのだよ、と怖がらせられ、終いに渋柿を作る手伝いをさせられた、なんてオチまでしっかり。
おそらく我々が近代以前の暮らしの中で生きてきた人々の話を直接聞ける最後の世代になるでしょう。
あと20年もしたら、どんな山奥を探してもこの様な経験談を聞くことは出来なくなる。
緩やかに滅んでいった文明の最後の生き証人の1人に、ここに来れば会えるでしょう。
わがふるさとです。
朝早く着きすぎて、開館前・・・。
中は見れず・・・。
ガイドの方から丁寧な説明をいただき大変勉強になりました。
また、ガイドの方の経験談から昭和初期の様相を窺うことができました。
ガイドの方がわかりやすくて温かい気持ちになれました。
歴史的な建物によって昔からの慣わしとか生活感が見えてまいりました。
ご説明ありがとうございました🙇
築後300年の茅葺き屋根の古民家です。
親切に色々話が聞けます。
ガイドがあり勉強になります。
緒方家が平家の末裔とは知りませんでした。
だとすると鳥栖市出身の広島カープの感得も そういう事になるのだろうか。
スタッフの方が気さくでとても親切です。
親切な管理人のおじさんに、雨宿りとお話を聞かせていただきました。
平家ゆかりの旧家。
とても良かった。
名前 |
緒方家 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0965-67-5118 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003108/index.html |
評価 |
4.1 |
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紅葉で立ち寄りました。
平家の落人が隠れ住んでいたらしいと有ります。