4度目の挑戦でやっとたどり着きました。
元寇のときの様子を伝える貴重な絵画史料、蒙古襲来絵詞を描かせたのが竹崎季長です。
彼は元寇で武功を上げ、この海東を領地としてもらいました。
彼のお墓が小さな公園の中にあります。
古いお墓ですが歴史の重みがあります。
国難を救った英雄です。
顕彰碑には、「弓箭(きゅうせん) の道すすむをもってしやう( 賞) とす」との揮毫(東郷平八郎)があります。
李長は、その言葉に続けて「ただ駆けよ」と叫び、郎党と共に元軍の中に飛び込み、先駆けした。
なお、絵詞を作成したのは、恩賞を貰った後のことです。
恩賞請求の証拠に作成したものではありません。
竹崎季長は蒙古襲来の際、日本とモンゴルの戦いを描いた「蒙古襲来絵詞」を作りました。
手柄を立て、恩賞、領地を得るために、自分の活躍を描きました。
古いお墓ですが歴史の重みがあります。
国難を救った英雄です。
顕彰碑には、「弓箭(きゅうせん) の道すすむをもってしやう( 賞) とす」との揮毫(東郷平八郎)があります。
李長は、その言葉に続けて「ただ駆けよ」と叫び、郎党と共に元軍の中に飛び込み、先駆けした。
名前 |
竹崎季長の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
蒙古襲来絵詞で有名な鎌倉時代の武士、竹崎季長の墓がある。
季長は蒙古相手の戦に奮戦したが、恩賞をもらえなかったので、自分の奮戦を絵巻物にして幕府に陳情しここ宇城市海東郡の地頭職を得た。
季長が偉かったのは戦ではなく、それを絵巻物にして残したこと。
この墓所と公園はよほど季長に思い入れがある人でないと全くつまらない場所なので要注意!