鬼無里小学校 高畑分教場跡の特徴
名前 |
鬼無里小学校 高畑分教場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
長野市鬼無里支所を通り過ぎる事10分弱。白馬方面と奥裾花への分岐点を右に。奥裾花方面へ進と高畑分教場跡地、のはずなのですが・・・。畑にいた方に伺うと、実際の分教場跡地は山の中。手前の分岐点の直ぐ左脇を入って行くと分教場跡地に着くらしいのですが。当時は山肌に通学路もあったらしいのですが、既に藪の中。脇道を上がって行ったとしてもUターンの場所も在るかわからず、今回は断念。因みに直ぐ近くの鬼無里地区の案内看板に‘東京’の文字が?。かと思えば‘西京’の文字。‘東京’は{とうきょう}では無く(ひがしきょう)と読み、‘西京’は{にしきょう}と読むらしいです。その昔の鬼無里村営バスの方向幕には‘東京’の幕がありました。絶対に関東の東京では無いと解っていても、“えっ”と思ってしまいます。この地名になった理由は、(諸説あると思いますが)その昔、京都の人々がこの地に来ましたが、故郷の事を想い、京都の‘京’の文字を地名に入れたとされています。※地名の歴史書で読んだ覚えがありましたが、もし詳しい方が居ましたら、教えてもらえれば幸いです。