地図で見つけ、どんな所か行ってみました。
地図で見つけ、どんな所か行ってみました。
この付近だけ寂しい山道で、付近に高校があるものの、通学には怖そうな道の脇にあります。
手入れをされる方がいる様で、荒れてはいませんが、手打ち水はわざわざポリタンで運ぶ様で、枯れていました。
お世話をする方は立派な方と思います。
蚊の居ない時期に行かれてはどうでしょう?
北バイから3号方面ヘ立田山の北側熊本北高脇をぬけます。
3号側の道は狭くて対向車がきたら大変ですが、北バイからなら十分OKです!こんな人気(ひとけ)のないところにこのような神社が。
厳かですね。
兎谷金山彦神社祭神 金山彦神 祭日10月12日寛永9年(1632年)細川忠利候が肥後藩主として入国された。
1635年、兎谷、楡木、麻生田、黒石、花立等の地区に士族(地筒)を配置し、禄を与え軍用として防禦の任務を授けられ、この地区に配置された7戸の足軽鉄砲組が、軍用防御のかたわら野開きをしました。
寛文13年9月(1672年)、現在の神社に、正蔵法師玄海という人が飽託郡兎谷氏神として蔵王権現を祭祀されました。
祭神金山彦神は寛文7年(1677年)に定住した組人が山伏に頼み、金峰山神社から金山彦、金山姫の二神を受けて祀っています。
明治元年3月28日、大政官布告「神仏分離令」の実施に伴い、金山彦神が表面に現れ氏神となられ、兎谷金山彦神社として祭られるようになりました。
明治4年(1768年)祀堂が火災により焼失し。
その翌年、祀堂は再建され、明治5年以降、権現さんと金山彦神が祀堂に同列に祭祀りされたものと推察されます。
明治18年10月、神殿と拝殿を移築して拝殿となし、元の神殿の跡に新しい神殿と廊下を造り拝殿及廊下を土瓦に変更し、昭和25年10月神殿の屋根麦釋をセメント瓦となし、廊下及拝殿を修理。
終戦後、組人たちが社から離れた西側に移り住んだとき、神社も移す話がでたそうですが、当時の氏子総代の枕元に蔵王権現が現れて「どうか動かすのはやめてはくれぬか」と懇願したという話があったそうです。
名前 |
兎谷金山彦神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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静かと思いきや結構車も通りますし自転車も多い。
ついでにいのししも。