孝明天皇の信頼が篤かった会津が薩長の陰謀により賊軍...
自然もたくさんあって川の生き物などを見れていいなと思いました。
西南戦争の阿蘇の戦いで薩軍にたいして戊辰の戦の雪辱を晴らすため政府軍抜刀隊として参加され奮戦落命された、鬼官兵衛こと会津藩家老佐川官兵衛公が出撃の朝、湧き水を飲んだとされる明神池のほとりに建つ記念館です。
小規模ですが官兵衛公の像が建ち、警察官時代の実使用十手、新島八重さんの掛け軸など貴重な遺産が展示されています。
駐車場無料、入湯無料です、熊本の地で会津武士の魂に触れる事ができます。
是非、車で15分程の官兵衛公終焉の地とセットでお出掛けになって下さい。
孝明天皇の信頼が篤かった会津が薩長の陰謀により賊軍の汚名を着せられ会津城下まで攻め込まれた。
その際の佐川官兵衛の活躍は城外出撃の指揮官を任じられたが、出陣前夜に藩主から賜った酒に酔い、早暁に出撃が遅れて敗北を喫した(長命寺の戦い)などスタンドプレー的なものであまり褒められたものではなかったが、それから10年後、今度は薩摩の西郷隆盛が政府内の権力抗争で敗れ、無用の軍を起こして再び西南戦争が巻き起こった。
その時、西南戦争で進駐した南阿蘇では官兵衛は官軍の略奪行為を厳しく戒め、地元民に慕われたと言う。
南阿蘇には十数カ所の佐川官兵衛慰霊碑が存在する。
元會津藩士,佐川官兵衛の近くで亡くなったんで造られた場所らしいけど...それだけで建物の中は謎です無料なんで入ってみてください^_^
5年前に訪問した。
元会津藩家老佐川官兵衛を顕彰した記念館。
というと聞こえは良いが中は全然整理されておらず、個人の収蔵物を展示する館という感じである。
が、それがなかなの味を醸し出している。
何よりも無料で公開しているのが好感度良し。
中に入り声をかけたが誰の反応も無しなので勝手に見させていただいた。
会津藩は賊軍と言われたが、それは薩長が決めつけたいわば汚名。
明治新政府軍を正当化するための必須の条件であったと思う。
忠義という点では会津藩士に勝る者は無いのではないかと思う。
西国の武士を見よ、尊攘の意思高くとはいえ脱藩藩士のなんと多いことか。
薩長土肥といえども藩内分裂しまくりである。
その点会津藩は頑迷であったとは思うが、まだ武士の時代が終わっていない時点では美徳である。
殿さまを平気で裏切る他の藩とは決定的に違った。
元会津藩士がなぜ新政府軍に仕えるようになったかはここでは割愛するが、官兵衛は人徳があったのだろう。
新政府軍の兵士の長としてこの地に駐屯する間、地元民に迷惑な行為を行うことを厳禁し、また地元の子供たちに読み書きを教えるなどして、次第に地元民に敬愛されるに至ったようである。
ここでの薩軍との戦闘において戦死するが、その人柄を偲び顕彰する碑がこの付近には数多く見受けられる。
さて、名刺が置いてあったので一枚頂戴してきたが、館長さんは興梠さんという方のようである。
ご苦労様です。
出来る限り長く続くことをお願いします。
神奈川からは遠いが、また訪れたいと思っています。
元會津藩士,佐川官兵衛の近くで亡くなったんで造られた場所らしいけど...それだけで建物の中は謎です無料なんで入ってみてください^_^
名前 |
明神池鬼官兵衛記念館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0967-62-9191 |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
周辺のオススメ

盆休み最終日に伺いました!