内牧(ウチノマキ)ウチ:内。
水濠を用いた平城で、天正年間は阿蘇氏配下の辺春氏、慶長年間加藤氏、元和2年の一国一城令で廃城になり、江戸時代は参勤交代の宿駅となったとあります。
看板が設置されてるのみで、それ以上ではありませんでした。
目立つ遺構は確認出来ないが、城郭としての地形は見て取れる。
歴史のある城跡で近くに温泉もあるので、のんびりと散策するのに適している。
城もあったんだぞオッホン
内牧(ウチノマキ)ウチ:内。
川に囲まれた地。
ノ:特に意味はない。
マキ:曲。
川の曲流部、(外輪)山辺の屈曲した所。
内牧は、これらを組み合わせた地形由来の地名のようです。
豊後街道 清正の境目の城。
遺構はその水路と区割り、二の丸の南側の石垣のみだが、本丸あとは体育館がたっている。
二の丸は開けた水路のある公園で、古を彷彿とさせる。
名前 |
内牧城 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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水堀や周りを散策しました。
しばらく歩くと石垣がありました。
道中、車窓から阿蘇山らしき山が見えて感動しました。