こんな鬼漆喰 見たことない 細かすぎる。
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館 / / .
無料駐車場が目の前に有り便利です。
館内の展示物はどれも見入ってしまうほどの書や作りです。
よく見ると三葉葵の畳み表でした。
梅の時期にも訪問してみたい。
入館料400円。
茨城子育て支援カード提示で200円。
1841年7月に完成し8月1日に仮開館(本開館は1857年5月31日)。
第9代水戸藩主の徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られた(弘道館設立の前は、山野辺家などの重臣層の屋敷地であった)。
初代教授頭取には、会沢正志斎と青山拙斎が就いた。
建造は戸田蓬軒が務めた。
また、経営にあたる学校奉行には安島帯刀が任命された。
八卦堂の『弘道館記』の碑には藤田東湖草案の建学の精神が漢文で書かれている。
武道のほかにも、広く諸科学、諸学問が教育・研究された。
学問の教育・研究としては、当時広く行われていた文系のほかにも、一部の自然科学についても行われていた。
また、第2代水戸藩主の徳川光圀が編纂を始めた『大日本史』の影響を受けた水戸学の舞台ともなった。
当時の藩校としては規模が大きく、また水戸藩も財政が潤っていたとはいえなかったことから、当時の水戸藩の教育政策がうかがえるといわれている。
通常、卒業の概念が設けられているものが多いが、学問は一生行うものであるという考え方に基いて特に卒業の概念を設けず、若者も老人も同じ場で学んだといわれている。
また、藩学出席強制日数という形式的な基準を設定していた。
文武のうち、文館への入学には一定水準以上の学力が要件となったが、武館への入学は無試験であった。
一方で、家格と実力が合致するような人材を育成するという目的から、家柄に基づいた出席日数の制限が行われ、家柄が低い者へは出席すべき日数が少なく設定されていた。
明治維新の際、水戸藩では改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が激しく争い、弘道館もその舞台となった。
慶応4年(1868年)4月、謹慎中の徳川慶喜は江戸開城の合意事項に沿って水戸に引き移り、弘道館の至善堂に入った。
しかし当時の水戸藩では藩主慶篤が病没して藩主不在の混乱状態であり、慶喜が紛争に担ぎ上げられることが予測されたため、7月に慶喜は静岡に移った。
改元して明治元年10月1・2日(1868年11月14・15日)には会津戦争で敗走した諸生党が水戸に舞い戻って弘道館に立てこもり、水戸城に入った本圀寺党・天狗党の残党らと大手門を挟んで戦闘する事態となり、文館・武館・医学館等多くの建物が銃砲撃により焼失した(弘道館戦争)。
1872年(明治5年)12月8日に閉鎖され、その後は太政官布告により公園とされた。
弘道館が有していた蔵書の多くは国有とされ、後に設立された官立の旧制水戸高等学校が引き継いだが、昭和20年(1945年)8月1日から2日未明にかけての水戸空襲により国有化された蔵書は焼失した。
そのほかの蔵書については、弘道館の伝統を引き継ぐために関係者によって作られた自彊舎に引き継がれ、その後は、弘道学舎、水戸塾、水戸学院、茨城中学校・茨城高等学校と続いている。
現在、約1万冊程度の蔵書が現存し、茨城県立歴史館が委託などで管理を行っている。
また、徳川斉昭の意向により設立当初から多くの梅樹が植えられ、その由来が『種梅記』の碑に記されている。
斉昭の漢詩『弘道館に梅花を賞す』には「千本の梅がある」とある。
現在、敷地跡は梅樹約60品種800本が植えられており、梅の名所となっている。
なお、弘道館と同じく梅の名所である偕楽園は、弘道館に対し、心身保養の場として対に作られたものである。
梅祭りの偕楽園に行くためにコンビニチケットを購入しましたら、弘道館がセット割引でした。
もし、このセット割引が無ければ偕楽園だけの観光になっていたかもしれませんが、本当に行って良かったです。
風格ある建物、『尊攘』の掛け軸、大日本史、梅の庭園、さらに空堀を渡り、水戸城跡、、復元された大手門などに元の城の威容を想像し、堪能しました。
初めて訪れました。
梅が綺麗なところです。
弘道館は趣もあり展示物も興味深く楽しめました。
最初に弘道館を見てそこから鹿島神社を見るのをおすすめします。
12月28日 水戸藩弘道館 あたりの 散歩をしながら 色々と 写真に撮りました弘道館 あたりは 色々と整備されトイレも完備され 雰囲気が いい場所になってます 三の丸辺りの 景色も 綺麗に整備されているので 歩きやすいです 二の丸角櫓 も行かれると いいと思います 付近を歩いていろいろ撮りました 通りすがりに 水戸中央郵便局の 前で面白いポストを見つけました ので とりました 年賀はがきは 早めにと 獅子が 言っていました 今日も 可愛いワンちゃん達に会いました 三の丸では 柴犬のコタちゃん顔の整った子です 元吉田では おっとりした男の子のそらちゃん ポーズが決まってます ポメラニアンの家族にも会いました お父さんがみぞれ お母さんがポコ 長男の 白形の きなこ バッチ のやんちゃな ゴマちゃん みんな可愛い ワンちゃん です 余談ですが 弘道館 の梅は 4本咲いているそうです。
大河ドラマが渋沢栄一をモデルにしているせいか渋沢と慶喜を中心にした展示となっていました。
本当は幕末の水戸内紛を中心に見たかった…
「尊攘」の掛け軸が想像していたより大きく迫力がありました。
資料も豊富で読みごたえがありました。
幕末維新ファンは必見ですね!
藩校跡。
状態は良く幕末を偲ぶことが出来るいい場所。
慶喜が大政奉還後に居たと言う間に同じように座り歴史を想うと至福な気分になれた。
水戸学を涵養(かんよう)するために水戸徳川家が開設した藩校。
大日本史など尊王論に大きく影響を与えた史料が展示されている。
また、令和3年8月現在、渋沢栄一が水戸や弘道館を訪問・講演した際のエピソードなどが解説されている。
水戸城の100名城スタンプを押すために立ち寄りました。
せっかくなので入館料を支払って見学しました。
小学校の先生をやってる友だちと一緒に行ったので、歴史的な背景を解説してもらえてよかったです。
笑。
館内に入ると少しだけタイムスリップした気持ちになるのは、私だけだろうか?
水戸藩の藩校として作られた。
大河ドラマの撮影に使われた。
展示室には歴史的に価値があるものが沢山ある。
庭には梅の木があり、春はキレイな花を見せてくれる。
こんな鬼漆喰 見たことない 細かすぎる。
見学しました。
水戸藩の藩校として建てられた施設。
昔ながらの日本家屋で、懐かしい感じがします。
松戸の戸定邸も同じ様な造りだった気がするのは、私だけですかね〜。
朝の散歩で来てみましたが、開館時間前だったので、中には入れませんでした。
名前 |
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-231-4725 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
土曜日に伺いました。
混雑はなく、入場料400円を払い中へ。
きちんと手入れされた館内は当時の生活感がわかるほど。
なかなか自分の足で歩ける歴史遺産は数少なく、畳の間から覗く中庭は、そこだけ時間が止まっているような感覚になりました。
近くに来たらよってみる価値がある、素敵な歴史がありました。
また伺います。