歴史を変えた皇子様のお墓。
治承4年(1180)平家打倒の兵を挙げた後白河天皇の第2皇子以仁王(高倉宮)の墓。
近くの筒井浄妙と共に宮内庁の管理下にある墓です。
宇治川合戦に敗れ、南都に逃れる途中、流れ矢にあたって戦死し、近くにあったこの社に葬られた。
ここの神社は高倉神社と言い、墓はこの神社に隣接した消防団の倉庫との間の細い路地を入ったところにあります。
以仁王は高倉宮と言われていたので墓に隣接するこの神社は高倉神社と呼ばれるのでしょうが、神社によくある~神社と刻んだ神社名の石碑は見つけることが出来ませんでした。
名前 |
以仁王(高倉宮)墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
墓の無い人生は儚い。