松平八代墓所左から順に初代松平親氏の墓から家康の父...
どうする家康館に行ったあとに訪れました。
大河ドラマ館を見たあとだったから、なお興味深く行くことができました。
松平家のお墓です。
松平家の廟所は、松平家四代親忠が大樹寺創建の際、先祖三代の墓を移祭し廟所を再建、徳川秀忠が元和3年(1617)先祖松平八代の廟所を修復再建したそうです。
岡崎市の史跡に指定されているそうです。
文明7年(1475)4代松平親忠が先祖三代/松平親氏・泰親・信光の墓を信光明寺から移祭し、廟所を創建🪦家康の一周忌、元和3年(1617)に二代将軍/秀忠が先祖松平八代の廟所を再建、4代親忠以下の墓石には元和3年再建の銘文が刻まれています‼️家康の墓碑は昭和44年に保存会が遺品を納め墓碑を建立、全ての墓碑は前と後をじっくり見て欲しいです👀※入り口手前の右側に「岩津松平家」供養碑(3代松平信光の時に岩津城本拠)、左側に大和郡山藩/幕末最後の6代藩主「柳澤保申」の石碑(柳澤保申…明治初期に奈良県の産業振興に尽力)、何故に正三位/柳澤保申の石碑が有るの知りたい、江戸後期に墓碑の修繕をしたから⁉️🤔す。
松平八代墓所左から順に初代松平親氏の墓から家康の父である八代松平広忠の墓まで8基が並んでいました。
父の広忠の右にあるのは徳川家康公の顕彰墓碑。
(1969年建立)岡崎城で家康が松平の墓(伊賀八幡宮・大樹寺)に見守られていたように現代の岡崎に住む方々も家康にもこの場所(右から9番目の位置)から見守っていてもらいたいなどの想いや願いがあるのでしょうかね(^^)徳川家康の戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」なんですね。
神号は「東照大権現造」南光坊天海と金地院崇伝らが議論し、神号は天海案になったらしいので、この戒名もこの二人が関係しているかもしれませんね。
元々、松平氏の菩提寺・大樹寺には、創建当時から松平氏の墓が建立されていたが、1615年、家康公が松平氏の菩提寺・大樹寺に先祖八代の墓を再興し(死ぬ直前やん1616年家康没)そして1617年に2代将軍秀忠が先祖8代の墓の再建修復した。
キレイで静かなお墓。
名前 |
松平八代墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
090-1270-5922 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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松平家のお墓。