名前 |
長島一向一揆殉教之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
戦国の歴史が偲ばれます。
1501年、浄土真宗の蓮如の子、蓮淳が長島願證寺に入ったことにより、浄土真宗(一向宗)のこの地で拡大。
長島・桑名・尾張西部・美濃南部・北勢地方に広がった。
長島は一向宗の重要な拠点。
1537年に、願證寺は長島を支配していた伊藤一族を追放し、長島をの領地とした。
織田信長は京都進出の前年1567年北勢に侵入した。
北勢48家といわれた豪族達を破り、1568年には南勢の北畠氏も滅ぼした。
しかし、長島の一向門徒達は信長に従っておらず、10万人を超える勢力であった。
この一向門徒達と信長の間で起った戦いが『長島一向一揆』である。
1571年から戦いは3回に渡って行われ、最期まで砦に残っていた男女2万人余りは、周囲に柵を設けて閉じ込められ、四方から火を放たれて壊滅した。