名前 |
長福寺廃寺の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
市教育委員会の案内板画像文字起こし〜『長福寺廃寺は犬山扇状地の扇端部、\u0011五条川右岸に位置し、七世紀中頃に建立された、尾張地方でも尾張元興寺に次いで古い寺院である。
昭和十四年、昭和四十五年に発掘調査が行われたが、伽藍配置については不明である。
現在、法光寺に軒丸瓦と塔心礎、さらに本尊を安置したと考えられる台座石や金銅仏二躯が近隣の個人宅に保存されている。
いずれも昭和四十九年十一月八日、一宮市指定文化財(考古資料)に指定された。
』一宮市博物館データによると、百済様式を伝える飛鳥時代や奈良時代後期の軒丸瓦(軒の一番先におく瓦)のほか、市指定文化財になっている塔心礎(柱を立てた大きな石)は、大正元年(1912)、地元の人々が千秋町加納馬場の法光寺に移し、現在は庫裡の前に庭石として置かれているとのこと。
縦190cm、横248cm、高さ100cmほどの長方形の花崗岩で中央に径85cm、深さ2cmほどの柱座孔とあり、サイトの資料で見ると苔が生しており何か案内板のようなものがなければ多分大きすぎて、ほんとに単なる庭石と思ってしまうだろう。
犬山扇状地の扇端部、井上城(館)址、神明神社、分水路、給水地と墓地のあるデルタ地帯周辺、市や町の境界線、さらに線路、高速道路で分断されてもいるが、市をまたいである「長福寺」という字名にその大きさの名残を微かに感じることができる。