正徳三(一七一三)年の建造で本殿は華やかな彫刻や彩...
この神社は村を見下ろす高台にあり、正徳三(一七一三)年の建造で本殿は華やかな彫刻や彩色に飾られています。
棟札には倉橋友沢吉右衛門政行の名があります。
享保四(一七一九)年から五年にかけて蒲江浦での越年を願い出た倉橋船大工に「吉右衛門」の名が見えます。
つまり、この本殿は広島の倉橋島の船大工により建立された可能性が高いのです。
広島大学の三浦正幸氏によれば、この本殿は寺社建築の専門家の手によるものではないとし、同様のデザインが倉橋島大神社本殿にもみられると指摘しています。
この他にも、西野浦には広島の倉橋島の船大工の移住を伝える倉橋姓の方がいます。
その縁戚にあたる富森氏は代々船大工でした。
この背景には、江戸時代の安芸・伊予・防長・豊後の諸国が瀬戸内海をはさんで経済的な結びつきを持っていたことの一つの反映でしょう。
佐伯領の場合は、漁業の盛んなところが多く、海産物は佐伯藩にとって領外との交易での重要交易品でした。
そのため倉橋島の船大工たちは漁船づくりを中心に浦々を廻っていたのではなかろうか。
その延長に本殿造営が倉橋島の大工の手によってなされたのかもしれません。
名前 |
王子神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0972-42-0709 |
住所 |
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評価 |
4.8 |
階段前くらいしか車を停められそうなスペースはない。