名前 |
産霊社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
祭神 高皇産霊神(たかみむすびのみこと)神皇産霊神(かみむすびのみこと)天穂日命(あまのほひのみこと)菅原神(すがわらのみちざねのみたま)市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)大山積命(おおやまつみのみこと)由緒 明治23年の大分県「神社明細帳」によると大永5年(1525)の創立とあり、産霊(むすび)二神のほか天穂日命(あまのほひのみこと)市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)菅原神(すがわらのみちざねのみたま)を明治11年6月に合祀している。
明治17年9月には井崎鬼田の山神社の祭神大山積命(おおやまつみのみこと)を合併した。
しかし、明治23年の「神社明細帳」によると、皇産霊社の境内神社には天穂日命(あまのほひのみこと)菅原神(すがわらのみちざねのみたま)が祀られて市寸姫命(いちきしまひめのみこと)は入っていない。
ただ「 」付きで産霊社の祭神として市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)が挙げられている。
緒言 産霊社をたずねて石畳を歩むと、旗石大小左右に一基宛4基が置かれ、急な石段を更に登ってゆくと大きな石灯籠がデンと左右に控えていた。
嘉永6年(1853)の建立である。
石の鳥居もあった。
この辺りは産霊社の第1境内であろう。
大師堂もあった。
更に石段を登ると産霊社拝殿の前に出る。
ここにも灯籠と台石に乗った獅子が控えていた。
帯のように狭く長い境内で、高所だけに眺望がよい。
栂牟礼城跡や小田城跡といった古戦場は真向いにある。
ここからは復興期の弥生町市街地形成の過程が指摘されそうだ。
(弥生町史より)駐車場 無し(近くの栂牟礼公民館に1台置けるので置かせてもらった)御朱印 無し販売等 無し。