松川町の歴史の深み。
名子氏館跡の特徴
標高530mから見える景色は心に残ります、松川町の歴史を感じる場所です。
鎌倉幕府の御家人に関する貴重な遺跡が残る名子氏館跡を訪れてみてください。
吾妻鏡に名前の出る歴史的な背景がある堀跡と土塁をぜひご覧ください。
標高530mの屋敷跡は松川町史跡名子氏は鎌倉幕府の御家人だったらしく吾妻鏡に出てくるそうな果樹園横に説明板が建ってる堀跡と土塁♪が残ってた。
名前 |
名子氏館跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.town.matsukawa.lg.jp/kurashi_tetsuzuki/bunka_sports/shiseki_bunkazai/ |
評価 |
2.5 |
周辺のオススメ

名子館文化財指定:町指定史跡遺構:土塁,堀城主:名子氏歴史:築城年代は定かではないが平安時代末期に名子氏によって築かれたと云われる。
名子氏は船山城主片切(片桐)氏の一族で、名子郷を分知され名子氏を称した事に始まると云われる。
「吾妻鏡」によれば仁治2年(1241年)に信濃国住人奈古(名古)又太郎が、承久の乱の恩賞に漏れていた事を追賞しており、これが名子氏と考えられている。
説明:名子館は中央保育園の南側にある果樹園付近に築かれていた。
現在果樹園の中に標柱が建っている。
城郭大系によれば東側の土塁と西側の堀が現存しているというが、周囲は宅地や田畑となり遺構は確認していない。
案内:標柱の建つ果樹園は中央保育園と名子中部集会所との間にある。