名前 |
古作弁財天 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
この古作弁財天様は、その昔、現在の上山公園の森を水源として流れている葛飾川の谷津に奉られ、その後、時代の流れから周辺地域が造成されて住宅が建ち並び、平成22年11月、同じ場所(南公園の一角)に古作熊野神社氏子方々の建設資金処出のご苦労により社殿が再建されました。
昔は丘の上から豊富な水の流れがあったことで『池に棲む白蛇が女人の姿になり、日蓮聖人が中山法華経寺で行う百日説法を欠かさず聞きに行った』という言い伝えがあるそうです。
(弁才天と蛇?を調べますと水神の使いは蛇とされ、そこから弁才天の縁日が巳の日となっていたそうです)弁財天(弁才天)様はご存知のとおり七福神(恵比寿様、大黒天様、毘沙門天様、布袋尊様、寿老人様、福禄寿様、弁財天様)の中の紅一点で琵琶を弾く妖艶な姿で現されており、福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されています。
弁才天は大黒天と同様でルーツは、古代インドの水の神『サラスヴァーティー』でサラスは『水』を意味し、川がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を演奏しているようだとの連想から音楽の神にもなったそうで、更に言葉の女神『ヴァーチュ』と同一視されるようになったことから言葉の『弁』の『才』に優れた神(弁才天)として弁舌・学芸・知恵の女神として信仰されたそうですよ。
昭和30年代後半・40年代のこの付近についてお話ししますと、当時、人気のない弁財天様の東側は田んぼと葛飾川があり、その先は森で斜面を上がると一帯が畑。
西側は南北に走る未舗装の道、その先の森を経て中山競馬場の競技コース。
南側は田んぼが続いてから旧来の民家が建ち並び、北側は上山町まで薄暗い森が続いてました。
以上のとおり調べて分かりましたこの素晴らしい神(弁財天様)にお恐れながら5つ星です。