中宮橋を渡った一帯が妙見中宮跡である。
懐良親王御墓から200mほど中宮川の上流、中宮橋を渡った一帯が妙見中宮跡である。
妙見中宮の創建は永暦元年(1160)3月18日、二条天皇の勅願により当時の肥後国司平貞能がこの地を選んで創建した。
同時に神領40町を寄附し長文の願文を納め南北10町、東西1里の間を殺生狩漁を禁ずる区域とした。
妙見上宮より18町(約2km)山を下りた場所で、妙見下宮創建までの27年間は、平家の全盛期であり神仏混淆の宮寺が栄えた時代である。
本地垂迹思想が広まる頃で当時の宮寺には神宮寺・別当寺・本地堂・塔その他伽藍を配置し、祭祀には僧侶の修法、勤行などの作法を加え神仏が仏寺のように変遷する時期でもあった。
妙見中宮は本地堂を建てて本地仏寺祀り、首坊として中宮山護神寺が創建された。
中宮出土の平瓦は背面が斜め格子文、表面は布目文である。
中宮跡には社殿のあった土台が残っていたが、近年、社殿が復元された。
大正5年、中宮跡の池の中より懐良親王御自筆宝篋印塔が発掘され、現在は懐良親王御墓内玉垣の中に奉安されている。
『ふるさと宮地』より。
名前 |
妙見中宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
妙見宮な中宮で、お水が汲めます。
とてもおいしく、次々とお水汲みの方がいらっしゃいます!