名前 |
洞泉寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
妙見町の辺田の洞泉谷の傍らにあり、もと妙見十五坊の一つで大寺であったという。
この寺は相良氏の頃に史上にあらわれ、特に天文14年(1545)秋の勅使下向のことは有名な話である。
勅使大宮伊治が、大内義隆の家臣の弘田弾正忠の案内で八代城に下向したことがあり、洞泉寺はその時勅使宿泊の館となった。
勅使は11月27日球磨川口の徳淵津に上陸し、28日城下の洞泉寺の館に着いた。
城主相良義滋は翌29日洞泉寺で挨拶をのべ、城内の陣内で歓迎の宴を張った。
12月2日慶滋父子は主城の高峰城本丸で、勅使から高い官位を授けられる御沙汰を拝して、相良家一門の光栄と感激した。
翌3日慶滋父子は洞泉寺で礼を尽くし、5日杭瀬の荘厳寺でお礼の宴を開き6日には衣冠を正して妙見宮に参拝した。
かつて旧堤氏宅地には板碑が祀られ、辺田の観音もこの洞泉寺に関連があるものと考えられる。
参道右側一帯を宅地に整地する工事中に、五輪の塔群が30基ばかり出土し現在、春光寺境内に祀られている。
『ふるさと宮地』より。