牛込氏の墓。
牛込重行と牛込勝行が眠る。
重行は、戦国時代の後期頃に小田原北条氏に招かれ、当地に移り住んだと伝わる。
その後、小田原征伐・徳川の関東転封という歴史イベントがあったが、牛込氏は北条氏から徳川氏に鞍替えし、旗本として幕末まで存続したという。
山門に入って直ぐ左手の植え込みに御前立がある。
墓は奥の墓所。
墓石碑文を読む限り、左半分が父重之のもので、右半分が子勝之のものである様だ。
なお、墓石は戦後に再建されたものであり、古いものは地下に埋められているそうである。
また、この宗参寺は牛込氏が開基とされ、代々牛込氏の菩提寺になっている。
大正時代の観光案内本には下記のようにあった。
『重行は上州大胡城主であつたが、此に移り牛込城主となり、子勝行になつて牛込氏と改めた。
小田原北條氏の下である。
重行は天文十二年九月七十八歳で歿し、勝行は宮内少輔と云ひ天正十五年七月八十五歳で歿し、墓は父子一基になつて居る』(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖2、1923)
名前 |
牛込氏墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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牛込氏は室町時代中期から江戸牛込の地に居住した豪族・領主です。
小田原北条氏に属し、大胡とも牛込とも名乗っていましたが、天文24年(1555年)には北条氏から宮内少輔の官位を与えられ、本名を牛込とすることを認められたそうです。
天正18年(1590年)の北条氏滅亡後は、徳川家に仕えたそうです。
墓地には寛文4年(1664年)に牛込勝正が重行と勝行を供養して建てた供養塔を中心に一族の墓が並んでいます。