神風連、関わりのある神社です。
神風連、関わりのある神社です。
【月 日】2020年8月3日【駐車場】有り【トイレ】不明🔷宇城市三角町の郡浦神社に参拝しました。
肥後の三ノ宮だそうです。
社務所に御朱印がありました。
賽銭箱にお金を入れて御朱印いただきました。
肥後三宮の神社です。
境内の下広場に土俵等有ります。
御朱印は社務所に人が居たので貰えました。
こうのうら、もしくは、こおのうら、と読みます。
熊本の阿蘇四社の一つ、肥後国三宮。
道の駅不知火から三角に向かう途中からわき道にそれます。
神社横に砂利の駐車場あります。
舞台や土俵もあり、平安時代から残る石造りの五重の塔、殉国の石碑もあります。
御朱印もありますが、必ずしも神主さんがいるわけではないそうです。
御朱印ありがとうございましたm(_ _)m
平成29年9月3日参拝御朱印あり肥後三宮のひとつ。
境内には神風連の6烈士の顕彰碑などがある、
小さな社ですが。
阿蘇四社(阿蘇、健軍、甲佐、郡浦)のうちのひとつで、古くからの社です。
古代から中世にかけてのこのあたりの中心であったようで背後の山は城址(館址)といわれてます。
名前 |
郡浦神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0964-54-0952 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
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炎のピラミッド⑧ 郡浦神社駐車場🅿有りトイレ🚻有り車椅子♿難しいです☹炎のピラミッドとは南阿蘇村にある一関八坂神社の田尻宮司さまが発見された幾何学的に阿蘇山を取り囲んだ熊本に点在する11の古社郡のことです。
しかも阿蘇山火口を正確に配置された結界を張る社とそれを支える神社いわゆるレイラインこのレイラインで阿蘇山の噴火を抑えている結界があるとしたら行かずにはいられませんよね❕阿蘇五岳を中心に据えて、小国両神社から南下すると阿蘇山の全てが見通せるような盆地状の平坦な土地なら、わかるのですが、平面どころか九州の高峰阿蘇五岳を挟んだ五十キロはある広大なエリアにおいて、阿蘇系神社ばかりではなく国津神、天津神の11社が正確無比に配置されているという研究が南阿蘇(南郷谷)の一関八坂神社の田尻宮司によって行われていました。
既に、その研究は1997年地理情報システム学会(東京大学)において講演されていますが、2008年1月にさらに深められた研究内容で『古代「火の国」の象徴「炎のピラミッドの発見」』が出版されています🐈だいふくも全くしりませんでした🧐これほど重要な発見が一般には全く知られていないというのが何か意図を感じますよね(笑)これは学説とか仮説とかいった類のものではなくて、神社の配置とその社殿や境内地の面積や形状が全て正確に計算されて配置されていると言う、極めて具体的で検証可能な事実そのものであり、無視することができないとですよ🙃田尻宮司はこの神社群の配置を470年頃、ナスカの地上絵と同時期を想定されているようですが、そんな大昔に、π、Φ、フィボナッチ数列、メートル法(メートル法は地球の大きさが分かっていないと出せないらしいです。
)といったものが、大和朝廷が成立する数百年前の阿蘇 に存在しており、実際にそれに基づいて多くの神社群が配置され、建設されているという衝撃的な事実🐈炎のピラミッド8ヶ所目は郡浦神社です上天草市の手前、宇土半島の不知火海の側の山里にある肥後国三宮ですが神殿の大きさに驚きます😮ここは筆頭主祭神が女神様ですね🐈阿蘇神社の意向が直結する阿蘇四社なのでその関係性をと由緒書きを拝見します。
うーん四面神社の御女で肥後国の温泉郷から…。
とここまで読みました。
この由緒書き古神道に精通した方でも直ぐには理解できないかと思います。
🤔祭 神蒲智比咩命(カマチヒメノミコト)健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇神社主祭神)速瓶玉命(ハヤミカタマノミコト、国造神社主祭神)神武天皇(ジンムテンノウ)の四柱です通説では蒲智比咩とは甲佐神社。
健軍神社 と関係する女神で、島原の普賢神社の祭神の娘で伊弉諾神、伊弉冉神の孫娘にあたる女神である。
とされていますが🐈この郡浦神社の主祭神の蒲池姫とは…?結論から百嶋先生の考察では、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃=アイラツヒメ。
これが蒲智比咩となってますので蒲智比咩はアイラツヒメで。
神武天皇の正妃ということです☺郡浦神社の神社縁起も阿蘇神社の見解を受け容れ、蒲池姫を雨宮姫としています。
雨宮姫は健磐龍命の娘です☹蒲池姫は初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃、五瀬命の妹。
父は金鎖大神。
金山彦とも言われています。
第6代 孝安天皇で玉名市の疋野神社の主祭神で製鉄技術者。
金山彦はイスラエル系渡来人母は天御中主(アメノミナカヌシは造化三神なのですが一人のお姫様として捉えるとまた意味が違ってきます。
長くなるのでここまで。
)とウマシアシカビヒコチ(この方は朝鮮半島から渡って来た方です。
後に埋没していきます。
)の間に生まれた燕脂姫(エンジヒメ)この方は=月読命、とも言われています。
弟に大山祗命(トルコ系匈奴)がいらっしゃいます。
これどっちが先かわかりません。
①蒲池姫が神沼河耳(巨胆将来)と婚姻関係を結び、神沼河耳の死後、神武天皇の正妃となりました。
②神武天皇が神武東征で蒲池姫と別れ神沼河耳の妃となる。
神沼河耳との間に生まれた健磐龍命。
蒲池姫は実母であり、神武天皇との間に正当皇統の懿徳天皇が産まれている以上、健磐龍にとって懿徳天皇は種違いの兄弟です。
ここが謎で蒲池姫を雨宮姫と言いたいのかが、なにかあったんでしょう通説では雨宮姫は健磐龍命の娘となってますこちらが正しいと考えるべきなのですがね☺吾平津姫(アイラツヒメ)という。
イスラエル系の製鉄神の金山彦がお父さん。
とトルコ系匈奴の血を引く大市姫がお母さんとの間に産まれたアイラツ姫が、初代神武天皇の妃となり第4代懿徳天皇を産みます。
ところがしばらくして、恐らくですが神武巡幸(神武東征)を契機として当時宮崎にいたと思われますが神武天皇と吾平津姫は別れ、吾平津姫は阿蘇家の神沼河耳(巨胆将来)と一緒になり健磐龍を産むのです。
巨胆将来とは?備前風土記に蘇民将来伝承が記載されてます須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯(あわめし)などを御馳走(ごちそう)になった。
というお話があります。
アイラツヒメの実家金山彦家にとっては許し難いことで、金山彦家との食い違いを来したはずです。
蘇民将来伝承が阿蘇谷、高森町草部、五ヶ瀬町で発生したことも残っています。
神沼河耳(金凝彦)こそ巨胆将来で、伝承から粗末にされたスサノウは、阿蘇氏に対して敵意を剝き出しにするのです。
☹このためか祇園山直下の五ヶ瀬町鞍岡にいたクラオカミ=神俣姫(スサノウの姉)も阿蘇氏との関係が悪化します。
あの有名な神武とナガスネヒコ(スサノウの息子)との衝突もあり、金山彦系との食い違いも増幅されることになるのです。
神沼河耳と神俣姫(スサノウの姉)との間に産まれたのが草部吉見ことヒコヤイミミです、アイラツヒメが神沼河耳との間に産まれたのが健磐龍。
この旧名アイラツヒメから名を変えたのが蒲池姫と考察されてます。
このことが阿蘇宮司家では伏せられており、それに併せて阿蘇宮司家初代惟人の出自も、多少修正が加えられているのではないかと言われていますがそもそも神武(カムヤマトイワレヒコ)が吾平津姫を袖にしたのか、アイラツヒメが神武を見限ったのかは今となっては分かりませんが、それなりの民族間の衝突など多くの問題があったはずです。
蒲池姫が神武天皇の妃だった事から阿蘇氏が神武天皇の一族であると強弁する根拠ができたのも事実。
つまり健磐龍命の母神が神武天皇のお妃でもあったという事実を持って阿蘇氏は天皇家の一族としているのであり、阿蘇氏が南朝方(宮方)として百年を超え闘い続けた理由もあるのではと。
これ怒られそうです🤔熊本の神社を巡っていますと大蛇退治がたくさん目にします🐈これはスサノウが蛇信仰、久那土神信仰なのではと考えれますね。
でも神殿裏に回ったらお姫様出て来てくれたので良かったです。
雲仙普賢岳から親元をはなれ政治的結婚で嫁いできた蒲池姫は凄い生涯をおくられたと思うと考えさせられますね☹神殿裏には海水が侵食したような跡がありました。
ここはなんだろう?ここ肥後国三宮ではなく一の宮に匹敵する重要な神社だということは説明できたかと思います🐈是非行かれてください🐈お気をつけて🚗ありがとうございます🐈