北千住駅から徒歩10分ほどのところにある神社。
千住での神社めぐり、続いて向かったのは『千住神社』⛩️こちらは「須佐之男命(すさのおのみこと)」と「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)」がご祭神✨それぞれの神様に数々のご利益がある様ですが、、、私は「宇迦之御魂命」のご利益「商売繫盛」を願いご参拝🙏こちらの神社は、戦時中も耐えた銀杏の御神木🌳や、富士信仰からつくられた千住富士(7/1のみ登拝可)など境内にあり、沢山の「パゥワ〜」を注入💪❗️御朱印は、帳面へ直接書きしていただきました📖
北千住駅から徒歩10分ほどのところにある神社。
御祭神は須佐之男命と宇迦之御魂命です。
境内は広々としていてのんびりとした下町の懐かしい雰囲気が流れています。
鉄筋コンクリート造りの朱色の拝殿のほか、富士塚や瓦葺の神楽殿など充実しています。
また、先の大戦での空襲をも生き抜いた御神木や縁結びや夫婦和合のご利益があるとされる夫婦銀杏からは強い生命力を感じます。
千寿七福神の一柱に数えられている恵比須様を祀ることでも知られており、恵比須様をハンカチで撫でることで願掛けができるそうです。
御朱印は本社のものと恵比須様のものがいただけます。
由緒版によると延長4年(926)に稲荷神社が創建され、その後弘安2年(1279)に氷川神社を勧請。
明治6年(1873)に2つの神社を合祀して西森神社と号し、大正4年(1915)に千住神社と改称したとの事です。
ご祭神は宇迦之御魂命と須佐之男命の2柱。
境内には浅間神社、芭蕉句碑、七福神恵比寿様、防空壕等、見どころ満載の神社でした。
(•‿•)
実は富士塚を見に来てこの神社を知りました。
立派な神社です。
初詣での人も多く、偶然この神社を知ったのも何かの導きかと。
北千住駅へ行く時にいつも通過してる途中にある神社⛩その存在感にいつか訪れてみたいと思っていました。
ここは足立区で最も古い神社で1
千住神社は御鎮座1100年。
足立区内最高の郷社ということで参拝しました。
晴れた日は午前の早い時間が順光なので、また訪れたい神社となりました。
TVや口コミを見て行ってみたいと思いお正月に参拝する事ができました。
社務所の方が親切で素敵な御朱印を頂きました。
駐車場はなかったので周辺にあるコインパーキングを利用しました。
北千住の界隈では広めの神社。
千住七福神では恵比寿さまのポイント。
境内に富士塚が在るほか趣のある神楽殿、防空壕跡や焼けながらも復活した不屈のイチョウと空襲の記憶を留めるのが特徴かなと思います(先の大戦で蔵以外は焼失したそうですが)。
因みに富士塚は7/1の山開き以外は登れない様です。
2021.11.13.参拝北千住駅から徒歩12分程。
縦長の境内を奥へ進むと、右に神輿蔵、左に神楽殿、更に摂社が並び、正面奥に千住神社の社殿が鎮座。
手水舎はセンサーで水が出るタイプ。
社殿はコンクリート製の様だが、屋根は銅葺で渋い色調の綺麗な神社。
社殿手前に「千住富士」と有り、木花開耶姫命が祀られている。
浅間神社の様だ。
隣に寒桜が咲いている。
掃除中の女性に尋ねると、現在の宮司のお母様で、「十月桜」との事。
10月から2月頃まで途絶える事無く咲き続けるそうで、小さい花ながら冬場の花の少ない時期に文字通り華を添えてくれる。
神社の樹々の管理や御朱印の事等、色々とお話しを聞かせて頂いた。
御朱印は、千住神社と域内社摂社の恵比寿様、兼務社の白旗八幡宮の三体を浄書して頂いた。
朱印と添印以外は筆によるもので、書体も美しい!!少しベンチで休ませて頂いて、兼務社の白幡八幡宮へ向かう事にする。
徒歩5分の近場に鎮座。
御朱印の対応がしっかりしています。
御守りが安いです。
鳥居が素敵な神社です。
行ってよかったです。
静かで心静まる場所でした。
このコロナ禍の中、御朱印も記帳していただけました。
現在はわかりませんが、令和2年11月に参拝した際はいただけました。
とても美しい書体で、お気に入りの御朱印の1つです。
職場の近くで、職場に早めについた時、何度か訪れました。
いつもきれいに清掃してあり、長椅子が置いてあるので、参拝後ひと休みしました。
梅雨時は、紫陽花が綺麗でした。
境内は、綺麗に清掃され、ご近所の親子連れが、遊んでいました。
暖かさを感じる神社でした。
静かな住宅街にある神社です。
15時ぐらいに行きましたが、御朱印も書いていただきました。
ありがとうございます。
ベンチで休憩している方も中にはいたので、落ち着いて休憩しやすい場所なんだろうなと個人的に思いました。
神様を⛩️信じるかどうかは別として、夜を彩る⛩️神社はそこはかとない❤️魅力にあふれています⁉️
参拝者が 極少ない夕方が 美しい1月中期 結婚式をさせて頂いた。
氷川神と稲荷神の神社です。
足立区も昔は武蔵国なので氷川神社が多いようです。
夜もまた幻想的です。
富士塚も立派でした。
平安時代、兵法の第一人者、大江匡房公からシナ由来の兵法を伝授された八幡太郎(源義家)の陣営の地でもあります。
社殿に向かう参道が特徴的です!七五三の写真撮影の最中でしたので、またじっくり見させて頂きたいと思います^ - ^
5年振りに北千住駅より歩いて訪れました。
久しぶりで、なかなか広い神社ってイメージしかなかったのですが、境内は良く整備されており、この辺りの神社では、かなり広かったです。
そこそこ長い参道があり、富士塚や、なかなか見る事のない防空壕がありました。創建が926年とおよそ1100年の歴史があり、奥州に向かう時に、源義家公がこの辺りに滞在したとの由緒もあるそうです。
御朱印いただきました。
ここは立派です!!江戸時代の大神輿なども珍しいし、芭蕉の碑もあり、見所満載ですが、個人的には、その中でも、是非、防空壕を見て欲しいなあ。
広い神社です。
恵比寿様が奉られています。
富士塚がありますが、富士塚の登山参拝は足元が悪く危ないので、7月1日の開山の日に許可があるときにしましょう。
小さな神社もいくつかあります。
社殿も境内も綺麗に整備・清掃されていました。
境内に鳩が多いのが印象に残ります。
千住(千寿)に集落が形成され始めた延長4年(926年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたと伝える。
永承6年(1051年)、源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(現 千住神社)に陣営し、戦勝祈願をしたと古記録に記載されている。
弘安2年(1279年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立。
鎌倉時代より江戸時代にかけて、ここを二ツ森と言っており、旧考録には代々の将軍が二ツ森で鷹狩りを行ったと記録されている。
寛永年間に至り、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあることから西の森とも言われた。
明治5年11月18日(1872年12月18日)、両社は村社と定められ、翌明治6年(1873年)6月 千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と名を改めた。
明治7年(1874年)7月、区内唯一の郷社と定められる。
大正4年(1915年)12月15日、千住神社と改めた。
大正12年(1923年)浅間神社を勧請、富士塚を建立した。
昭和20年(1945年)4月13日 空襲で社殿を焼失。
昭和33年(1958年)9月、社殿が再建された。
926年創建の古社であり、郷社、千住七福神の恵比寿神を祀る。
伏見稲荷を勧請し創建したという。
その後大宮の氷川神社から勧請、二社鎮座した事から二つ森と称された。
1915年には現社号に改称した。
境内がかなり広く、境内社である末社や摂社が多く祀られ、見応えアリです。
富士塚もあるので富士塚好きの方は行かれてみては?しかし、一番印象に残ってしまったのが手水舎の前で繰り広げられる野良猫同士のバトルでした。
御朱印有(社号と恵比寿神の御朱印が拝受できます)
境内に駐車場ありました。
すごく温かみのある巫女さんでした。
千住七福神のお寺です。
千住では御朱印が町会の人が押す事がありますから。
足立区と北区の境目に住んでいたので、初めてきたのですが、まさか1000年前に足立区で最初にできた神社だったとはおどろきました^ ^おても穏やかで、ちょうど祝詞をあげられている最中におみくじを引いたところ、大吉でまたうれしい^ ^気持ちが洗われるいつまでも居たくなる。
そんな素敵ないやしろの場所です^ ^
住宅街にありながら、穏やかな空気が流れる居心地の良い神社です。
〔千住神社〕参道右側に芭蕉句碑が建っている。
ひとの短を云事なかれ 己の長を説く事なかれ ものいへは唇さむし秋の風 はせを翁慶応2年(1866)建立の碑。
年初めの七福神めぐりで恵比寿天の御朱印を頂きました。
神社の御朱印は通年頂けます。
普段は広くて静かな神社です。
名前 |
千住神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3881-1768 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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七五三の賑やかな声を聴きながら参拝しました。
夫婦銀杏や子守狛犬等、見所の多い神社でした。
七福神の恵比寿様が祀られています。
手書きの綺麗な御朱印を頂けました。